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杉山 長谷夫(すぎやま はせお、1889年(明治22年)8月5日 - 1952年(昭和27年)8月25日)は、日本の作曲家、ヴァイオリニスト、音楽教育者、指揮者。本名は杉山 直樹(すぎやま なおき)。別名として杉山 長谷雄、杉山 はせをという表記も見られる。
愛知県名古屋市出身。1913年(大正2年)東京音楽学校器楽科卒業。安藤幸、アウグスト・ユンケル、ハインリヒ・ヴェルクマイスター、アレクサンドル・モギレフスキーらにヴァイオリンや作曲を師事した。東京音楽学校を卒業後はヴァイオリン奏者として活躍し、高階哲夫、多基永、高勇吉、芝盂泰、多忠亮らと室内楽運動を展開。暁星中学校、俳優学校、陸軍戸山学校などで音楽を教えた[1]。教え子に近藤柏次郎がいる[2]。
作曲家としては本領であるヴァイオリン曲のほか、軍歌、歌曲、歌謡曲、童謡も手がけ、抒情画家・蕗谷虹児の作詞による、花嫁になる女性の哀感を情緒的に表現した童謡『花嫁人形』は少女たちに広く愛唱された[3]。歌謡曲では自ら見出した詩人・勝田香月の詩、オペラ歌手・藤原義江の歌唱によって別れの寂しさを表現した『出船』がヒット。多作であり、SPレコードの録音だけでも百数十曲の作品が確認できる。(杉山長谷夫名義[4]、杉山長谷雄名義[5]、杉山はせを名義[6]合計)。編曲作品も多い。作詞を担当したものもある『花火:杉山長谷夫作詞』[4]。
指揮者としても、録音、演奏会などに出演している。
声楽も嗜んだようで、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー第23回定期演奏会(1916年(大正5年))において男声四部合唱(四重唱)を披露した記録がある。(メンバーは澤崎定之、山崎普立、大塚淳、杉山長谷夫)[7]
戦後は日本作曲家協会理事、日本音楽著作権協会理事などを歴任。酒を好み、貴公子然とした風格を持ち、軽妙洒脱でユーモアをたっぷり含んだ語り口と人柄で“殿下”の愛称で親しまれた。
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