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本山 茂任(もとやま しげとう、1826年(文政9年) - 1887年(明治20年)8月28日)は、 江戸時代土佐藩上士勤皇派の武士。 維新の志士。松山県参事。春日大社、下賀茂神社の神職。 通称は左近兵衛、のち只一郎。竜沢と号す。前諱は茂樹。板垣退助の親族にあたり、文武に秀で、坂本龍馬や中岡慎太郎を厚く庇護したことで有名。坂本龍馬や中岡慎太郎からの手紙なども伝存している。
維新後は新政府に仕え松山県参事を勤め、松山を日本百名山、日本百景の一つであり、日本七霊山のひとつとされる霊峰石鎚山(石鉄山)に基づき、石鉄県と名付けた。1875年(明治8年)に退官し、その後は春日大社、京都の下鴨神社、奈良の大神神社などの宮司を勤め、1887年(明治20年)8月28日、帰幽した。享年62。
本山家は、清和源氏吉良氏の支流に出る。吉良宣玄の二男の次郎茂光が、土佐国長岡郡本山郷を本貫として氏と為し「本山伊典」と号したのを始祖とする。戦国時代には土佐七雄の一に数えられ、長宗我部氏や吉良氏を攻め滅ぼしたが、のちに一条氏の助けにより長宗我部氏が復興するとそれに攻められ降伏、家臣となる。長宗我部氏の没落後、慶長19年(1614年)山内一唯へ仕えて以降は、土佐藩の上士として優遇された。
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