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山内 豊範(やまうち とよのり)は、江戸時代末期の大名、明治前期の日本の華族、実業家。位階爵位は正二位侯爵。
第12代藩主・山内豊資の十一男として生まれる。嘉永元年(1848年)に兄の豊熈(第13代藩主)、豊惇(第14代藩主)が相次いで死去したため後継者と目されたが、わずか3歳だったため、家督は分家出身の豊信(容堂)が継承することとなった。安政6年(1859年)2月26日、豊信が安政の大獄で隠居処分となったため、家督を継承した。
しかし文久2年(1862年)に豊信の隠居が解かれると、実権は豊信に握られることとなり、豊範の主体性は薄かった。同年、朝廷から京都警護の内勅を受ける。明治2年(1869年)には薩摩藩、長州藩などと共に連名で版籍奉還を行なった。また、義父・上杉斉憲の米沢藩が戊辰戦争によって官軍の追討を受けると、その赦免に奔走した。
明治4年(1871年)の廃藩置県後は、鉄道事業や銀行事業などの成立に寄与している。明治19年(1886年)7月13日、41歳で死去した。跡を長男の豊景が継いだ。
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