朝倉喬司
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朝倉 喬司(あさくら きょうじ、本名:大島 啓司(おおしま ひろし)、1943年6月23日 - 2010年11月下旬[1])は、日本のノンフィクション作家、犯罪・芸能評論家、新左翼活動家。
岐阜県生まれ。早稲田大学第一文学部中退。1966年10月19日、無政府主義者系のベトナム反戦直接行動委員会(ベ反委)[2][出典無効]の一員として東京都田無市(現・西東京市)の日特金属工業を、翌月15日、豊和工業を襲撃し[3][出典無効]、逮捕される[4][出典無効]。その後も無政府主義系の活動に関わりつつ[5]、「週刊現代」記者を経てノンフィクション作家となる。1970年代からは平岡正明、竹中労、太田竜ら新左翼文化人らと活動を共にした[6]。主として犯罪のルポルタージュ、あるいは明治期の犯罪についてなど、社会の裏面を描くことが多かった。
記者だった1978年、取材中に河内音頭に出会って衝撃を受け、雑誌『ミュージック・マガジン』1978年10月号に「大阪の闇をゆさぶる河内音頭のリズム」という評論を発表。翌1979年夏には、東京河内音頭振興隊(のちに全関東河内音頭振興隊と改名)を結成し自ら隊長となって関東での宣伝普及に努めた[7]。なお2009年7月に振興隊の活動から身を引くことを表明し、振興隊も解散した。
1982年には、渋谷のライブハウスと錦糸町のパチンコ店の屋上で、河内音頭大会を開催[7][出典無効]。錦糸町の町内会有志と意気投合し、1985年から毎年8月末に「錦糸町河内音頭大盆踊り」が行われるようになり、錦糸町の名物となっている。
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