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曾我廼家 五郎八(そがのや ごろはち、本名:西岡幸一、1902年〈明治35年〉2月25日 - 1998年〈平成10年〉1月20日)は松竹新喜劇で活躍した喜劇役者。大阪市福島区出身[1]。
とぼけたキャラクターを演じ、味のある脇役として一世を風靡した。娘は西岡慶子(女優)。タレントの弟子に吉本新喜劇の井上竜夫、菊池大助(元吉本新喜劇団員)がいる。
父親は香川県女木島の出身で電気技師[1]。父親の転勤で3歳から神戸市で、小学校の2年間は台湾高雄市で育つ[1]。中学からは再び神戸に戻るが、父親が亡くなったため生活が困窮、1919年関西学院中等部を中退した[1]。子供の頃から野球に熱中、1920年に大蔵省土木局野球部から新国劇野球部へ引き抜かれたが、力不足により1921年に三島健之助を名乗り舞台俳優に道を変え初舞台。その後1929年に同志座を結成。
1939年、曾我廼家五郎一座に入り曾我廼家五郎八を襲名する。1948年の松竹新喜劇旗揚げに参加し、主力芸人として発展に力を注いだ。1966年、松竹新喜劇を退団してフリーになり舞台、テレビ、映画と幅広く活躍した。
1970年には娘の西岡慶子と共にテレビドラマ「ザ・ガードマン」に出演。勤務先の海苔屋の乗っ取りを企てる吉村親子を娘と見事に演じた。
娘の西岡慶子によると趣味はゴルフ、バイク、自動車運転などで凝り性であった[2]。
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