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日本のジャーナリスト ウィキペディアから
日高 義樹(ひだか よしき、1935年6月22日 - )は、日本のジャーナリストである。アメリカ合衆国在住。ハドソン研究所客員上級研究員、全米商工会議所会長首席顧問、ハーバード大学ケネディスクールタウブマンセンター諮問委員。
日高 義樹 | |
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生誕 |
1935年6月22日(89歳) 日本 愛知県知多郡東浦町 |
教育 | 東京大学文学部英文科卒業 |
職業 | ジャーナリスト |
代表経歴 | 『日高義樹のワシントン・リポート』(1995年~2011年)『ワシントンの日高義樹です』(2011年~2012年) |
1935年(昭和10年)名古屋市生まれ[1]。愛知県知多郡東浦町出身。愛知県立刈谷高等学校を経て[2]、東京大学文学部英文科卒業[1]。
親米派の論客として改憲論、特に日本国憲法第9条改訂の立場をとるジャーナリストとして知られる。2010年代後半以降はメディア登場がない。
1959年(昭和34年)、NHK入局[1]。福岡放送局、佐世保放送局(現・支局)、1965年(昭和40年)外信部、1970年(昭和45年)ワシントン特派員、1972年(昭和47年)外信部、1975年(昭和50年)ニューヨーク特派員、1980年(昭和55年)ニューヨーク支局長、1982年(昭和57年)ワシントン支局長、1985年(昭和60年)特報部、1987年(昭和62年)NHKエンタープライズアメリカ会長、理事待遇アメリカ総局長を歴任した[3]。
1985年(昭和60年)には、時のNHK副会長島桂次と協力してNHKエンタープライズを設立、自らアメリカ代表となった[1]。その後も、島のNHK会長就任(1989年)に尽力したといわれる[要出典]。1992年より審議委員を務めた後、退職した[1]。
NHK退職後はアメリカ・ワシントンD.C.に渡り、フリーのジャーナリストとして活動。テレビ東京の冠番組 「日高義樹のワシントン・リポート」では、クリントン、小ブッシュ両政権の国務長官、国防長官などの閣僚級を合わせて40人以上、アメリカ議会の両党の議会指導者40人余、アメリカ軍幹部50数人、ハーバード大学の学者やワシントンD.C.の主要な官僚など多くの人物と対談した。また、この番組は原則として対談から3週間以内に放映されるため常に新しい情報が届けられた。なかでも、NHK時代から年始にヘンリー・キッシンジャー元国務長官に対し、国際情勢予測に関するインタビューを放映しており、これはその後のワシントン・リポートにも引き継がれた。
横田基地(東京都)について、「未来永劫、アメリカに使われ続けてよいのか?」や「自分の国は自分で守るべきだ」という持論を持つ。
(2000年以前の著作は抜粋)
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