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大相撲の行司 (1928-2005) ウィキペディアから
27代 式守 伊之助(にじゅうななだい しきもり いのすけ、1928年7月18日 - 2005年11月2日)は、大相撲の立行司の一人。式守伊之助としての在位期間は1992年11月〜1993年7月。春日野部屋所属。
元三役格13代木村庄太郎の弟子で、初土俵は1939年春場所に木村英三の名で初土俵。その1年後に木村宗市(のちの26代式守伊之助)が入門。当時の春日野親方の指示で教育係に任命される。1947年6月に2代木村善之輔を襲名。1956年5月に十両格に昇格。1963年1月に幕内格に昇格と同時に14代木村庄太郎を襲名。行司抜擢制度により、幕内格時代に木村筆之助、7代式守勘太夫を抜き、1984年1月場所に10代式守与太夫の死去で欠員が出ていた三役格に昇格。
1990年11月場所限りで27代木村庄之助が停年。25代式守伊之助が28代庄之助を襲名。それに伴い、庄太郎が26代伊之助を襲名する予定であったが、同部屋で一つ序列下位であった6代木村庄二郎も事務能力・裁き・土俵上の姿勢態度は非常に優れており甲乙つけがたかった。庄二郎の方が弟弟子ながら停年が早かったため、一度は庄太郎に打診があるも、庄太郎本人の「庄二郎に譲る 。」との申し出で庄二郎が26代伊之助を襲名。1992年9月場所で26代伊之助が停年。その翌場所の11月場所に立行司に昇格、27代伊之助を襲名した。
立行司の在位期間は、死跡1場所のみであった14代伊之助を除けば当時の最短記録であった26代伊之助の11場所を下回るわずか5場所と短かったが、古武士のような風格を持ち、地味ながらも堅実で、的確な軍配捌きを見せた。1993年7月場所千秋楽に停年。[1]最後の一番は1993年7月場所千秋楽の関脇若ノ花-大関小錦のはずだったが、13勝2敗で横綱曙、大関貴ノ花、若ノ花の優勝決定戦となり、優勝決定巴戦第1戦の曙-若ノ花が事実上最後の裁きとなった。
引退してしばらくの間は、同部屋のマネージャーを務めた。
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