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東京都千代田区の神社 ウィキペディアから
創建は文明10年(1478年)江戸平河城城主太田道灌が、菅原道真の霊夢により城内の梅林坂上に当社を創建した[2]。天正18年(1590年)徳川家康が江戸入城後、本丸築造に当たり上平河村に奉遷した[2]。さらに慶長11年(1606年)に、徳川秀忠が江戸城増築に伴い現在地に奉遷された[2]。紀州尾張両徳川家、彦根藩井伊家の祈願所になり、新年の賀礼には、宮司は将軍に単独拝謁できる格式の待遇を受けていた。
蘭学者・高野長英の大観堂学塾は平河天満宮のすぐ裏手にあったので、高野長英はよく参拝に訪れた。また、江戸時代の盲目の国学者、塙保己一(はなわほきいち)も平河天満宮の熱心な信者で、平河天満宮に祈願しながら『群書類従』を完成させた。塙保己一の住まいの和学講習所は、現在の千代田区三番町24にあった[3]。
火災による十数度の類焼を被っており、1923年(大正12年)の関東大震災、1945年(昭和20年)の戦災ではほとんどの施設を焼失していた。戦後、仮社殿にて祭祀を執り行っていたが、1969年(昭和44年)に本殿が再建された。学問に心を寄せる人々は、古来より深く信仰し、目高い盲目の学者塙保己一や蘭学者高野長英等の逸話は、今日にも伝えられている。現在も学問特に医学や芸能、商売繁盛の祈願者が多くいる。
各行事ごとに、御朱印が発行される。例大祭では、境内に屋台が並ぶ。七夕祭では、短冊と笹が出されて、願い事が書くことができる[5]。
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