岐阜市立長森北小学校(ぎふしりつ ながもりきたしょうがっこう)は、岐阜県岐阜市野一色3丁目にある市立小学校。
概要 岐阜市立長森北小学校, 過去の名称 ...
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県道205号線(『おがせ街道』)に隣接している。校名の通称は「長森北(ながもりきた)」「北小(きたしょう)」。
- 1873年(明治6年)5月 - 聞校学校と汎愛学校が開校[1]。聞校学校の校区は北一色村、野一色村、岩戸村、前一色村であり、香厳寺[注釈 1]が仮校舎。汎愛学校は水海道村、左兵衛新田、岩地村が校区であり、正蔵寺[注釈 2]が仮校舎であった。
- 1874年(明治7年) - 汎愛学校が民家を仮校舎とする。
- 1875年(明治8年) -
- 聞校学校が吉野神社[注釈 3]の隣接地に校舎を新築し、移転。
- 野一色村に一色学校が開校。
- 1876年(明治9年) - 一色学校が聞校学校に統合される。
- 1879年(明治12年)9月 - 汎愛学校が校舎を新築し移転。
- 1886年(明治19年) - 聞校学校が北一色尋常小学校、汎愛学校が水海道尋常小学校に改称する。
- 1897年(明治30年)
- 1902年(明治35年) - 裁縫学校を併設。
- 1903年(明治36年) - 現在地に校舎を新築し移転。高等科を設置し、北長森尋常高等小学校に改称する。
- 1906年(明治39年)5月31日 - 裁縫学校を廃止し、裁縫補習学校を併設。
- 1912年(大正元年)9月23日 - 暴風雨により校舎が倒壊。
- 1913年(大正2年) - 校舎を再建。
- 1918年(大正7年) - 校舎を新築(木造2階建)する。
- 1919年(大正8年) - 校舎(南舎)を新築(木造2階建)する。
- 1926年(大正15年) - 青年訓練所を併設。
- 1940年(昭和15年)7月1日 - 北長森村が岐阜市に編入され、岐阜市立長森北尋常高等小学校に改称する[1]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 北長森国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 岐阜市立長森北小学校に改称する。
- 1951年(昭和26年)1月 - 講堂が完成する。
- 1952年(昭和27年)8月 - プールが完成する。
- 1955年(昭和30年)12月 - 校舎を増築する。
- 1969年(昭和44年)2月 - 新校舎(北舎・鉄筋コンクリート造3階建)が完成。
- 1973年(昭和48年) - 新校舎(中舎・鉄筋コンクリート造3階建)、及び体育館が完成。
- 1974年(昭和49年)
- 4月1日 - 岐阜市立長森西小学校を分離する。長森西小学校の校舎未完成のため、長森北小学校の校舎の一部を使用。
- 9月2日 - 長森西小学校の校舎が完成し、長森西小学校の児童は長森西小学校校舎に移る。
- 1975年(昭和50年)7月 - 新プールが完成する。
- 1982年(昭和57年)4月1日 - 岐阜市立長森東小学校を分離する。
- 1996年(平成8年)6月 - 現在のプールが完成。
- 前一色1 - 3丁目、長森本町1・2丁目、野一色1 - 8丁目、長森岩戸(一部)[2]
- 岐阜聖徳学園大線(JR岐阜駅バスターミナルからは、水海道(B53)・富田学園前(B52)行)・尾崎団地線(JR岐阜駅バスターミナルからは、諏訪山団地(B58)行)などで「岐阜県総合医療センター口」バス停より徒歩約3分。
注釈
現在の岐阜県岐阜市北一色6-18-33にある寺院。
現在の岐阜県岐阜市北一色8丁目6番14号にある神社。
- 長森北郷土史(岐阜市長森北自治会連合会 2016年) P.92 - 95 112 - 114 123 - 129 164 198 - 202