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山内 得立(やまうち とくりゅう、1890年6月12日 - 1982年9月19日)は、日本の哲学者。京都学派の哲学者。文化功労者。京都大学名誉教授。元京都学芸大学学長。西田幾多郎の弟子の一人。形而上学者として比較哲学の著しい貢献[1]。主書は『ロゴスとレンマ』(1974)である。
奈良県生まれ。旧姓中川。京都帝国大学で西田幾多郎に師事した後、ドイツのフライブルク大学に留学しエトムント・フッサールとマルティン・ハイデッガーに師事[2]。留学中に左右田喜一郎の推薦により東京商科大学(後の一橋大学)助教授に就任。後に京都大学教授等を歴任。蔵書や自筆ノートは山内文庫として一橋大学附属図書館に収められている。
著書『旅する人- 芭蕉にふれて』では、人間の特性としてホモ・サピエンス(知る人)、ホモ・ファーベル(作る人)、ホモ・ヴィアトゥール(旅する人)を提唱した[3]。
弟子や教え子に馬場啓之助、太田可夫、高橋長太郎、藤井義夫、坂田太郎[4][5]、小島慶三[3]、国分敬治、山田晶、梅原猛がいる。
長女の美穂子(1935年生まれ。京都大学文学部卒、同大学院修了)は塩野谷祐一(経済学者、文化功労者、一橋大学名誉教授)の妻。
山内はアリストテレスの形式論理(即ち、同一律・矛盾律・排中律)[6]と龍樹のテトラレンマ(肯定、否定、肯定と共に否定、肯定でもなく否定でもない、という四段階の思考方式)の包含的な超越を行うため、独自のテトラレンマの形(肯定、否定、肯定でもなく否定でもない、肯定と共に否定である、という形)と構成(仏教の二諦論を取り扱った構造)を構築しようとした[7]。
このようにして文献学的な方法と哲学的な思考を合わせ、東西の哲学・思想(特にインドの仏教思想とその漢訳、そしてヨーロッパの哲学)を比較しながら、彼は、古代ギリシャから未解決のまま続く哲学の根本的問題の一つを解決しようとした。その問題とは、所謂因果性のアポリアである[8]。この意図を達成するために、仏教思想を参照し、「縁起」(pratītya-samutpāda)の概念[9]を使用した[10]。
日本で木岡伸夫[11][12]をはじめ、中沢新一などが『ロゴスとレンマ』を参照し、山内哲学を取り上げた。『ロゴスとレンマ』は海外でも評価され、2020年に仏訳された[13]。オギュスタン・ベルクも自分の考える「風土学」を強化するために山内哲学を参考にした[14]。
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