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名古屋市中村区の地名 ウィキペディアから
当地は愛知郡広井村の一部ではあったが、江戸時代後期には既に名古屋城下町と一体の市街地となっていたという[1]。尾張国丹羽郡・葉栗郡などで産する小倉生地による下駄の鼻緒生産により、履物問屋が集積した[1]。明治時代末期から大正時代にかけては、取り扱う下駄が雑木下駄へと変わったものの、鼻緒および下駄の生産地として全国的にも栄えたという[2]。後述の交通項の通り、明治後年より昭和初年に掛けて交通が発達したことにより、泥江町交差点を中心に交通量が増加した[2]。名古屋大空襲による被害も少なく、戦後も小規模な家屋が密集する状況が続いていたため、その状況を改善するための再開発(小鳥ビル・名古屋国際センタービル)が行われ、住居表示実施に伴う町消滅後の1984年(昭和59年)に完成している[2]。
東西の道路として名古屋駅と伝馬町筋を連絡する道路が1887年(明治20年)、桜通が1936年(昭和11年)に開通し、また南北の道路として江川の暗渠化に伴う市道江川線の拡幅が1933年(昭和8年)に行われることで、泥江町交差点を中心に交通量が増加した[2]。
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