小林啓子
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略歴
聖心女子学院初等科・中等科・高等科を卒業後、聖心女子学院英語専攻科在学中からプロ活動を開始。1968年(昭和43年)、TBSラジオ・MBSラジオ『雪印 チーズパーティーNo.1』のテーマソング『ふとした時に』(作詞・井上頌一/作曲・吉村英世)を、石岡宏[注釈 1]とデュエットで発表。
1969年、キングレコードより『こわれた愛のかけら』でデビュー。同年結成されたNHKのヤング101[3]に第一期生として加入して、NHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』に1970年1月10日の第一回放送から出演した。番組のオリジナルソングの一つである『恋人中心世界』(作詞・小平なほみ/作曲・中村八大)を歌い人気を博した。在籍中の1970年5月に発表したソロ・シングル『比叡おろし』(作詞/作曲・松岡正剛)がヒット[注釈 2]。70年代の森山良子と並んで「日本のジョーン・バエズ」と称された。ヤング101には1971年4月まで在籍した。
1977年に発表された3作目のソロ・アルバム『ちょっと気分をかえて』は、高橋幸宏の兄で、当時小林の夫だった高橋信之のプロデュースによって制作された。
2002年(平成14年)、シャンソン歌手の石井好子や永六輔からの呼びかけもあり、約30年ぶりに音楽活動を再開した[注釈 3]。 2004年10月22日には27年ぶりに『明日咲くつぼみに。』(ミニアルバム)を発売した。
作品
シングル
- こわれた愛のかけら(1969年2月)[5]
- さよならをいうまえに(1969年11月)[6]
- 比叡おろし c/w 恋人中心世界(1970年5月)[7]
- ひとりぼっちの午前10時(1970年9月)[8]
- のびゆく電気通信の歌[9](1970年) - 日本電信電話公社創業100年記念。1970年10月21日に日本電信電話公社本社6階講堂にて楽曲の発表会が行われた[10]。
- こころあたり(1971年5月)[11]
- からっぽの世界(1972年)[12]
- レイルウェイ・ララバイ ~一枚の切符から~(1977年4月)[13] - 国鉄による旅行誘致キャンペーン「一枚のキップから」のTV-CMソング。
- 気分を出してもう一度(1977年9月)[14]
- ギターのように愛されたい(1983年7月25日) - 佐々木勉とのデュエット。
アルバム
客演
- BUZZの1stアルバム『BUZZ』(1973年4月10日) - 『愛のナタリー』と『ウェディング・ベル・ソング』の2曲に参加。
出演
テレビドラマ
ラジオ番組
- 三菱ドライビングポップス 啓子と歌おう!(1970年10月 - 1973年、TBSラジオ制作・JRN系列局ネット) - 初代パーソナリティ。
- 小林啓子 アメージング・グレース(2003年10月 - 終了年月不明、エフエムさがみ)
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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