小屋敷昭

鹿児島県出身の元騎手・調教助手 ウィキペディアから

小屋敷 昭(こやしき あきら、1961年3月4日 - )は、鹿児島県出身の元騎手調教助手

概要 小屋敷昭, 基本情報 ...
小屋敷昭
基本情報
国籍 日本
出身地 鹿児島県
生年月日 (1961-03-04) 1961年3月4日(63歳)
身長 162cm
体重 54kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 栗東夏村辰男(1981 - 1985)
栗東・フリー(1985 - 1996)
栗東・大根田裕也(1996 - 1999)
栗東・白井寿昭(1999 - 2000)
初免許年 1981年3月1日
免許区分 平地(初期は障害免許も保持)
騎手引退日 2000年2月29日
2000年2月27日(最終騎乗)
重賞勝利 2勝
通算勝利 237勝
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経歴

要約
視点

1980年代

1981年3月1日栗東夏村辰男厩舎からデビューし、阪神第1競走アラブ系4歳以上オープン・ヒミノタカ(7頭中4着)で初騎乗を果たすと、同14日の阪神第4競走障害5歳以上勝入400万下・ブゼングランプリで初勝利を挙げる[1] [2] [3]。障害はこの1勝に終わるが、1年目の同年は平地40勝を挙げて[4]計41勝[5]をマークし、関西の新人賞に当たる関西放送記者クラブ賞と優秀騎手賞を受賞[6]1977年舞原昌博が挙げた32勝を上回り、1987年武豊(69勝)が更新するまで関西新人最多勝記録であった[7]

2年目の1982年には平地のみで32勝[8] [5]を挙げ、阪神で行われた小倉大賞典北九州記念では共にタマトップで3着[9]、京都で行われた小倉3歳ステークスではユーショウキングで2着[10]に入る。同年からはアラブのスリーキャプテンで2度のレコード勝ちを含む4連勝をマークし、3年目の1983年にはタマツバキ記念で人馬共に重賞初制覇[3][11]を挙げるが、同年は13勝、1984年は初の1桁台となる8勝(平地7勝, 障害1勝)[12] [5]に終わる。

1985年からはフリーとなり、5月6日京都第12競走5歳以上900万下・スズカロードで通算100勝を達成[13]ニュージーランドT4歳ステークスでは12頭中12番人気のイズミスターに騎乗し、同じく関西馬で逃げるマルヨプラードの2着に突っ込む[14]。直線では広瀬伸一(当時・ラジオたんぱアナウンサー)が「関西2騎の決戦だ!」と表現し、枠連7-7は14510円[14]の波乱となったが、関西圏での馬券発売はなく、結果もスポーツ紙の片隅に載る程度であった。井崎脩五郎は同レースを当てた男が、その金で英国ダービーを見に行って、エプソム競馬場の最終コーナーの丘の上に、漢字で『馬頭観世音菩薩』と刻まれた石碑を発見、その謎を大英博物館のハートフル家・文書室に探りにいくという短編小説を書いており、題名は大江健三郎万延元年のフットボール』を捩って「万延元年のホースレース」と付けている[15]

1985年にはコーリンオーとのコンビでスワンステークスを5連勝で制し[16]サラ系重賞初勝利[3]をマークするが、日高大洋牧場にも重賞初制覇をもたらした[17]マイルチャンピオンシップでは前哨戦を制してニホンピロウイナーの好敵手に名乗りを挙げたが[18]、管理する白井寿昭厩舎のGI初出走[19]となった本番では連覇したニホンピロウイナーに完敗。同馬では1985年のCBC賞1986年京王杯スプリングカップ・スワンS、1987年スプリンターズステークスで3着に入るなど短距離路線で活躍し[16]、1986年のフリーハンデではダイナフェアリートウショウペガサスと並ぶ55kgを与えられている[20]

1990年代

1987年からは平地の騎乗に専念し、1989年1990年には2年連続、1992年から1994年には3年連続で10勝台の2桁勝利を記録[5]。その間の1991年にはプリティハットでマイラーズカップに騎乗し、ダイタクヘリオスに5馬身離されたもののイクノディクタスを抑えて2着に入る[21]

1993年9月4日小倉第3競走4歳未勝利・リンデンローマンで200勝を達成し[22]1994年にはホクセツギンガでダイヤモンドステークス3着[23]に入るが、1994年の11勝が自身最後の2桁[5]となった。

1996年には大根田裕也厩舎所属となり、同年は小倉戦6勝を含む9勝[24]をマーク。

1999年には白井厩舎に移籍するが、同年に挙げた3勝は全て大根田が管理するアレグラール[25] [26] [27]で記録[28]

引退後

2000年2月12日の小倉第4競走4歳未勝利・オースミロッキーで最後の勝利[29]を挙げ、最終騎乗となった阪急杯[30]ではブラックホークメジロダーリングマサラッキスギノハヤカゼと好メンバーが揃う中、リザーブユアハートで逃げて見せ場を作って8着[31]であった。同年引退[3]

引退後も白井厩舎で調教助手を務め、白井の定年後は奥村豊厩舎の調教助手として、ディアンドルを担当[32]

騎手成績

さらに見る 通算成績, 1着 ...
通算成績1着2着3着4着以下出走回数勝率連対率
平地 233 210 258 1845 2546 .092 .174
障害 4 3 6 6 28 .143 .250
237 213 264 1850 2574 .092 .175
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主な騎乗馬

  • スリーキャプテン(1983年タマツバキ記念)
  • コーリンオー(1985年スワンステークス)

脚注

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