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富士500km(ふじ500キロ)は、毎年5月上旬(ゴールデンウィーク)に富士スピードウェイで行われる自動車レース。現在はSUPER GTのシリーズ戦の1つとなっている。
1971年8月に、富士グランチャンピオンレース第3戦として開催されたのが最初となる。以降、1974年にMSCC(マツダスポーツカークラブ)主催で開催。1977年から富士ロングディスタンスシリーズ(富士LD)の1戦として毎年開催されるようになった。スポーツプロトタイプカーやツーリングカーなど様々な車両カテゴリーが参戦し、1983年からはグループCの時代を迎える。1985年からは全日本耐久選手権(後のJSPC)の1戦としても開催されるようになり、国際格式となった。主催者もFISCOクラブから再びMSCC(とVICICの共催)となった。しかし1992年はMSCC開催イベントも 1000 kmレースとなり(この年は富士1000kmが2回開催された)、富士500kmは開催されなかった。翌1993年以降はJSPCの崩壊、景気後退で暫く中断する。2001年からは全日本GT選手権 (JGTC)のイベントとして組み込まれ富士500kmは復活した。現在はその後継のSUPER GTへと引き継がれている(但し2009年から2011年までは景気後退、東日本大震災の影響でレース距離は 400 kmに短縮された。2012年から 500 kmレースは復活している)。
なお、1982年は11月開催の富士500マイルが雨天の影響で順延となったGCとのダブルヘッダーとなったため500kmに短縮され、この年は富士500kmが2回開催された。またツーリングカーレースの国際イベント、インターTECも1987年から1993年までは500kmレースとして開催された。
2005年まではJGTC・SUPER GTにおいてシリーズ一の長丁場レースでもあった(2006年から2017年までは鈴鹿1000kmがシリーズに統合、2018年から2019年までは富士での第5戦が500マイルレースとして開催)。鈴鹿1000kmとは違い、ドライバーは原則2名だが、タイヤの磨耗度や燃費などの問題により、2ストップ制を採用するチームがほとんどである(2009年に義務化)。GT300の一部のチームは1ストップ制を採用するチームもあった。GT500でも、2008年度に23号車の本山哲とブノワ・トレルイエ組のザナヴィ・ニスモ 日産GT-Rが 115 kgのウエイトハンデと 80 kgの特別性能調整を抱えており、ライバル陣とはまともにやりあえないため、低燃費走行・ハードタイヤの選択によって1ストップ制を採用するという光景もみられた。
トヨタ系チームに所属している立川祐路はこのシリーズを得意としており、2001年では決勝2位、2002年では決勝1位、2003年は予選1位を獲り、2005年に決勝1位を獲得している。しかし、2006年以降はマシンの特性により、いい成績を飾ることができていない。しかし、2017年に富士500kmでは自身9年ぶり、レクサス陣営としては2013年第6戦以来4年ぶりの富士スピードウェイ (FSW)での勝利を手に入れた。
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