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グループCは、自動車レースに使用するかつて存在したスポーツカーのカテゴリー。それまでの二座席レーシングカーの後継にあたるカテゴリーである。
1981年、国際自動車スポーツ連盟(FISA)によって発表され、それまで1から8の数字によって形成されていたレギュレーション(国際スポーツ法典・付則J項)を改正し、1982年からAからEおよびNという6つのアルファベットへ簡略化されたものの1つである。
このグループC規定でもっとも特徴的な部分は、レース距離に応じ総燃料使用量が規制されたことである。この規定によってこのカテゴリのレースには、速さを低燃費高効率で達成することが求められることとなった。
*上記は原則として草創期のC1クラスのもの[1]。
ボディはルーフの有無に関わらず左右一対のドアを持ち、実用性のある照明を備えることが要求されていた[2]。後にオープンカーであるならドアを不要としたヒルクライム用のクラスが追加された。
そもそもグループCの前身であるグループ6が成立したのは、1960年代に3,000 ccプロトタイプと5,000 ccスポーツの併存で争われていた国際マニュファクチュアラーズ選手権(のち国際メーカー選手権)が、ポルシェ・917の出現によって事実上同車のワンメイクレースのようになり、競技として成立しなくなったことにあった。1972年、国際自動車連盟(FIA)は生産台数制限なしの3,000 ccプロトタイプに限定するグループ5(1972年から1975年まで)で競技を行なうことでポルシェ・917を締め出したが、これも1976年からの新グループ6でポルシェ・936の独走状態になって、ファンの興味を引かなくなりつつあった[3]。
またこれと併行するかたちで、1970年代後半にFIAの下部組織だったFISAのミーティング席上、石油ショックの中でレース活動を行う大義名分が欲しいという意見が多く出て、何らかの形で燃費を規定に盛り込む意見が多勢を占め、これにフィアットとスクーデリア・フェラーリ以外は前向きな姿勢を見せ、結局1970年代のうちに燃費を規定に盛り込むこと自体は決まり、また排気量やエンジン形式を一切問わない、というところまで間もなく発展した。しかし単純に燃費を制限するとレースが本来持っている迫力を損ない、実験室的イベントになってしまうのではないかという懸念があり、どの程度燃費を制限するのかが大きな問題となった[4]。
ポルシェは1981年のル・マン24時間レースにポルシェ・936/81を投入した。搭載されていた新型エンジン935/76型は3,000 cc以下のグループ6で争われていた当時のル・マン24時間レースでは不利な2,650 ccだが、予選加圧600馬力以上を発揮し4,825.34kmを走り優勝、この時の燃費1.8 km/LがグループCの燃費規定のガイドラインになった[4]。
結局省資源を併せ持った速さを競い合う自動車文明最初のレースとして多くの賛同を受け1982年5月にグループCカー規定に基づくシリーズとして世界耐久選手権(WEC)がスタートした[3]。ル・マン24時間レースもこのシリーズに組み込まれたことから、ル・マン24時間レースの総合優勝もこのグループCカーによって争われることとなった。
コストの増加に伴い、FIAは1983年に新しいグループCジュニアクラスを導入した。これは個人チームと小規模メーカーを対象としており、車の最小重量は700キログラム(kg)、最大燃料容量は55Lに制限されていた。競合他社は1,000kmの距離内で5回の給油停止に制限されていたため、自動車は1,000kmあたり330Lを実質的に許可した。グループCと同様に、エンジンはグループAまたはグループBで公認された自動車を製造している認定メーカーのものである必要があった。Cジュニア車は通常2LのNAエンジンを使用すると予想されていたが、実際にはほとんどの車は3.5L BMW・M1エンジンまたは新しい3.3L コスワースDFL、メインクラスと同様に、さまざまなソリューションが各メーカーによって採用された。小型軽量のターボを備えたアルバ、オースティンローバーを搭載したティガ、スパイス、エキュリーエコセス、そして後にコスワースを搭載した車は、このクラスで最も競争力のある車の1つだった。これらの車の低コストは、存続期間の短いイギリスのBRDC C2チャンピオンシップなどの全国選手権での使用の概念にもつながった。グループCジュニアは、1984年に正式にグループC2に名前が変更された。
年度によって車両細則は変更を受けている。
日本では1983年に全日本耐久選手権としてグループCによるシリーズ戦がスタート。後に全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)と改称し、WSPCがSWCに改称した後も旧グループC規定に基づく燃費規制レギュレーションによるレースが行われていたが、バブル景気の崩壊に伴う自動車メーカーの経営状態の悪化などを背景に、SWCと同様に1992年限りでシリーズが終了した。
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