好間地区(よしまちく)は、福島県いわき市の郊外に位置する、好間川流域に位置する地区である。平の郊外に当たり、平や白水と同様に、岩城氏に関連する史跡が点在する地区である。
岩城氏が当地を本拠地とした鎌倉時代から戦国時代にかけては、好嶋と表記され、好嶋庄(よしましょう)と呼ばれていた。殖産興業期から高度経済成長期までは、常磐炭田の炭鉱で栄えた地区であり、1966年にいわき市が成立する前は好間村(よしまむら)であった。
このページでは、1966年以後のいわき市好間地区を主に掲載する。1966年以前については「好間村」を参照のこと。
- いわき市の機関
- 好間支所・好間公民館併設[1]
- 旧好間支所は旧好間村役場として現在の叶田団地入口バス停前(現在は、いわき市職業訓練施設)にあった。上好間にあった公民館と合わせて現在地に建設された。
- 警察・駐在所
- 管轄エリア
- 榊小屋・大利・北好間・上好間・中好間・下好間・小谷作・愛谷・今新田・川中子・工業団地
- 道路
- 高速道路
- 高速バス停留所
- 鉄道
- かつて存在した鉄道
- 好間炭鉱専用鉄道好間線 (1908-1972) :綴駅(現・内郷駅) - 北好間。炭礦時代に石炭を運ぶトロッコが平バイパス付近を通っていた[3][4][5]。鉄橋など足跡あり。
- 好間軌道 (1921-1930) :古鍛冶町 - 北好間。日本初のガソリン気動車。磐越東線のカーブの部分に跨線橋の土台が残っている[6][7]。
- (参考)国土地理院1975年空撮写真[8]
- 1975年当時は常磐道・工場団地も未完成。好間支所は好間村役場と同位置。叶田団地は造成が進み2/3ほど完成している。上野原の炭住や忽滑の幹部邸宅、産業医の高級炭住も残っている。好間第一小学校は木造校舎である。
- 好間川渓谷
- 古河炭礦遺産
- 古河好間炭礦(株)専用鉄道橋梁[4][9]
- 古河好間炭礦(株)火力発電所[10][11]
- 産業戦士の像(進発)(戦時中、国が軍需産業を激励で全国11ヶ所の優良炭礦・工場に設置)[12]
- 吊り橋(大畑)(松坂)(岩穴)[13]
- 好間田代ズリ山
- 好間ジャンボメニュー
- とんかつみのる ジャンボロースかつ ジャンボハンバーグ
- 創業80年下坂食肉店 ジャンメンチ
- なをゑ食堂 じゃんぼしゅうまい(なお、なをゑ食堂は平成25年をもって閉店)
- 白土屋菓子店 じゃんぼシュークリーム
- 万葉 じゃんぼ寿司(たまご)
- カフェハウスめーあ・べるく ジャンボ焼きスパ
- 八丈 ジャンボ天丼
- 山村暮鳥碑
- 吉野せい住居
- 大館城 (陸奥国)跡 岩城則道
- 1952年 - 常磐炭礦・古河炭礦(常磐炭田)が佐藤忠良を受け入れ。
- 1956年 - 若松光一郎 小田炭礦A 小田炭礦B 石炭を運ぶ女で制作会推薦を受ける[14]。
- 1959年 - 二紀会会員 菊地正男 1930年東京生れ、空襲により母親の実家宮城へ疎開、戦後、家族と好間に在住。同年まで古河炭礦勤務後上京して「炭鉱風景」が初入選・1994年からは、30数年ぶりに炭鉱を題材に毎年二紀展に出品を続け現在に至る。2001 第55回記念二紀展 会員賞受賞 2005 第59回二紀展 成井賞受賞 [15][16]。