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1901年(明治34年)、のちに東京商科大学(現一橋大学)教授となる当時まだ28歳であった歴史家・幸田成友が編纂長を務め[1]、ドイツ・イタリアなどの市史を参考に収集・選択された史料を年次別に系列化し、8年間かけてまず『大阪編年史料』131冊分を作成した(このうち古代から江戸時代までの92冊分は『大阪編年史』としてのちに活字化された[2])。続いて『大阪市史』の執筆と編集に取りかかり、1911年(明治44年)に第5巻が最初に刊行され[3]、1915年(大正4年)までに全5巻7冊1帙(帖)が完成し名著と称された。
以後、市史は『明治大正大阪市史』『昭和大阪市史』『昭和大阪市史続編』と作られる。『新修大阪市史』は、1979年(昭和54年)から市制100周年事業の一環として編纂し始め、「本文編」全10巻が1996年(平成8年)までに刊行された。現在は本文編を補完する「史料編」の編纂中で、全22巻を完成巻から順次刊行している。
『大阪市史』の流れを汲む刊行物・書籍は以下の通り
全5巻7冊1帙(帖)、1915年(大正4年)完成、編纂兼発行者は大阪市参事会[3]。田村太兵衛(初代大阪市長)の下で着手[5]、編纂長は幸田成友[6][7]。1927年(昭和2年)、1965年(昭和40年)、1978-79年(昭和53-54年)に復刻。
全27巻、1979年(昭和54年)完成、編集兼発行者は大阪市立中央図書館市史編集室[9]。『大阪市史』編纂の為に作成された『大阪編年史料』(古代から慶応3年分まで)を翻刻、監修者は本庄栄治郎・黒羽兵治郎[10][11]。
全8巻、1935年(昭和10年)完成、大阪市役所編纂、日本評論社発行[12]。關一(第7代大阪市長)の下で編纂開始[13]、編集主任は幸田成友の推薦により本庄栄治郎が務めた[14]。1966年(昭和41年)、1980年(昭和55年)に復刻。
全8巻、1954年(昭和29年)完成、編集兼発行者は大阪市役所[15]。1926~45年(昭和元年~昭和20年〔終戦〕)の歴史を記述、1948年(昭和23年)に計画、編集は本庄栄治郎。[16]
全8巻、1969年(昭和44年)完成、編集兼発行者は大阪市役所[17]。1945~60年(昭和20年〔終戦〕~昭和35年)の歴史を記述、1961年(昭和36年)に計画、監修者は本庄栄治郎。[18]
全10巻、1996年(平成8年)完成、新修大阪市史編纂委員会編。市制施行100周年にあたる1989年(昭和64年・平成元年)に向けて1979年(昭和54年)に編纂作業が開始された。[19]
全22巻、大阪市史編纂所・大阪市史料調査会編、2004年(平成16年)より完成巻から順次刊行中。[20]
1979年(昭和54年)度から年2回刊行、市史編纂のために収集・整理された史料を翻刻
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