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大越 亨(おおごし とおる、1844年(天保15年9月)[1] - 1896年(明治29年)1月11日[2])は、幕末の相馬中村藩士、明治期の内務官僚。官選滋賀県知事。幼名・慎八郎[3]。
陸奥国宇多郡中村(現福島県相馬市中村)[3]で、相馬中村藩士の家に生まれた[1]。戊辰戦争では単独で尊王を東北地方で説き、東征大総督府参謀の先鋒軍使を務めた[4]。
明治3年4月(1870年5月)、中村藩権少参事軍事局事務取扱に就任し、さらに同藩大属となる[3]。
廃藩置県後の明治5年3月(1872年)、十一等出仕となる。同年4月、新治県権大属に就任。以後、同大属、茨城県権大属、同大属、同一等属、内務省御用掛、内務三等属、石川県八等出仕、同一等属、同少書記官、内務省権少書記官、徳島県大書記官、熊本県大書記官、同書記官、山梨県書記官などを歴任し、1890年10月、長崎県書記官に就任[3]。
1891年6月、滋賀県知事に就任。同年12月、県会において県庁を大津から彦根に移転することを可決したが、大越知事がそれを取消して県会中止を命じた。しかし県会の収拾がつかず、内務大臣が県会の解散を命ずる事態となった。また、瀬田川浚渫工事を大阪の反対を退けて着工し、厳寒の中で陣頭指揮を行った結果、体調を崩し1896年1月に病のため在任中に死去した[1]。
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