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大阪府八尾市の地名 ウィキペディアから
大窪(おおくぼ)は、大阪府八尾市の地名。丁目表示は行われておらず、全域が大字である。かつては現在の東町の一部も含まれていた。
保元3年(1158年)の官宣旨にて石清水八幡宮領、極楽寺領に対する押領を停止し、その中に河内国窪庄が確認できる(石清水文書)。窪庄は一旦石清水八幡宮領でなくなっていたようで、永正10年に細川高国が窪庄を石清水八幡宮に寄進している(和簡礼経)。なお、河内国窪庄について、当地を比定する説(『荘園志料』[4]など)はあるが郡名の記載が無く断定されていない。
正保郷帳の写しとされる河内国一国村高控帳によると「大久保村」とあり、916石余で千塚・山畑地区を含む3か村の合計である。それ以前の慶長見地では大窪村一村としてまとめられて見地されている。のちに3か村に分村されたとされる時期は正保年間から寛文年間あたりとされている。延宝年間の河内国支配帳では481石余。江戸時代初期は幕府直轄領、その後281石分と200石分に支配者が分けられたうえで幾度か支配者が変わり、前者は寛文9年に淀藩領となり、後者は文化9年に小田原藩領となり幕末に至っている。明治以降の市町村制施行で中高安村の大字となる。
昭和47年に大阪外環状線より西の地域を分割して東町の一部(現在の2~5丁目の一部)となった。
2020年(令和2年)3月31日現在(八尾市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 1,447人 | [5] | |
2000年(平成12年) | 1,267人 | [6] | |
2005年(平成17年) | 1,256人 | [7] | |
2010年(平成22年) | 1,052人 | [8] | |
2015年(平成27年) | 918人 | [9] |
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 475世帯 | [5] | |
2000年(平成12年) | 436世帯 | [6] | |
2005年(平成17年) | 468世帯 | [7] | |
2010年(平成22年) | 403世帯 | [8] | |
2015年(平成27年) | 365世帯 | [9] |
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2020年5月時点)[10]。
2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[11]。
大字 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
大窪 | 37事業所 | 141人 |
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