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大塚 初重(おおつか はつしげ、1926年11月22日 - 2022年7月21日)は、日本の考古学者。明治大学教授・名誉教授、日本考古学協会会長を務めた[1]。主として弥生時代と古墳時代を研究領域とし、岩宿遺跡(群馬県みどり市)、登呂遺跡(静岡市)、三昧塚古墳(茨城県行方市)などの発掘調査を手掛けた[1]。
東京都生まれ。1943年、郁文館商業学校を卒業[2]。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)4月14日未明、海軍兵として乗り組んだ輸送船が中国大陸の上海に向かう途中、済州島沖での停泊時にアメリカ海軍潜水艦に雷撃され、積み荷の魚雷が誘爆[1]。甲板に上がる階段は焼け落ちており、垂れ下がっていたクレーンのワイヤーに飛びついて海上に逃れたが、続いて胴や脚にすがりついてきた他の乗員らを振り落としてしまい、その体験を戦後、小野田寛郎と雑誌対談で明かした[1]。漂流物につかまって炎上する輸送船を見ながら、「神風は吹かなかった」と思い[1]、日本を神国とする皇国史観に疑問を持ったのが歴史を学ぶきっかけになる[3]。乗船していた船が米軍に撃沈され東シナ海を漂流した体験は二度に及び、敗戦時は上海の海軍第二気象隊に属していた。
復員後、特許庁で勤務しつつ明治大学文学部考古学専攻を卒業。明治大学大学院文学研究科考古学専攻に進学し、修士課程に続き、1957年(昭和32年)に博士課程を修了して文学博士の学位を取得する。
長く明治大学教授を務め、文学部長や体育会硬式庭球部長にも就いた。登呂遺跡や綿貫観音山古墳(群馬県高崎市)など、多数の遺跡の発掘調査を担当した。日本考古学協会会長、日本学術会議会員、山梨県立考古博物館館長(磯貝正義の後任)、千葉県文化財審議委員、成田市文化財審議委員などを歴任。
明治大学リバティアカデミーで月2回の講演を引き受けていたほか、カルチャーセンターや、全国の博物館などでの講演を行っていた。また、2014年(平成26年)より淑徳大学人文学部歴史学科客員教授に就いていた。
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