多気 (多気町)
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地理

多気町の北東部に位置する。地区の概形は五角形をしている。西から北にかけて朝長(あさおさ)、東で弟国(おおくに)・河田(こうだ)、南から西にかけて東池上(ひがしいけべ)・西池上(にしいけべ)と隣接する。多気駅前ということもあり、商業地・住宅地として利用されている。水田も一部で見られる。
歴史
現在の多気地区の発展の契機となったのは、1893年(明治26年)12月31日の「参宮鉄道相可駅[注釈 1]」(現在の多気駅)の開業である。それまでは水田が一面に広がり人家はまばらだったが、駅の開業により商店が集まってくるようになった。
1955年(昭和30年)に独立した大字となる。それ以前は河田地区のうちの上河田と呼ばれる地域であった。
沿革
地名の由来
1959年(昭和34年)の国鉄紀勢本線の相可口駅(現在の多気駅)乗り入れを控え、同駅が多気町の中心駅となることが期待されたことから、1955年(昭和30年)の多気町成立の際に「多気」と名付けられ、河田地区から分離した。
大字名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前 |
---|---|---|
多気 | 1955年(昭和30年)3月30日 | 河田(上河田地域) |
世帯数と人口
2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
1980年(昭和55年) | 268人 | [5] | |
1995年(平成7年) | 259人 | [6] | |
2000年(平成12年) | 231人 | [7] | |
2005年(平成17年) | 232人 | [8] | |
2010年(平成22年) | 228人 | [9] | |
2015年(平成27年) | 226人 | [2] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
1980年(昭和55年) | 73世帯 | [5] | |
1995年(平成7年) | 73世帯 | [6] | |
2000年(平成12年) | 70世帯 | [7] | |
2005年(平成17年) | 77世帯 | [8] | |
2010年(平成22年) | 82世帯 | [9] | |
2015年(平成27年) | 79世帯 | [2] |
学区
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 多気町立相可小学校 | 多気町松阪市学校組合立多気中学校 |
交通
鉄道
バス
- 多気駅前バス停
- 幹線バス
- 下河田
- 波多瀬公民館
- 大石
- 予約運行型小型バス(でん多)
- 1系統(西相鹿瀬線) 相可駅
- 2系統(西池上・下佐奈線) 相可駅
道路
- 三重県道119号松阪度会線 - 地区を南北に貫く一般県道。
- 三重県道421号勢和兄国松阪線 - 地区を東西に貫く一般県道。駅前通りになっており、多気町の中心部相可に至る。
- 三重県道529号多気停車場斎明線 - 多気地区内では全区間が上記の2路線と重複し、多気駅前を起点とする。
このほか格子状に多気町道が走っている。
主な施設・事業所
その他
日本郵便
脚注
参考文献
外部リンク
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