坂戸 (川崎市)

神奈川県川崎市高津区の町名 ウィキペディアから

坂戸 (川崎市)

坂戸(さかど)は、神奈川県川崎市高津区町名。現行行政地名は坂戸1丁目から坂戸3丁目で、1991年(平成3年)11月25日住居表示が実施されている[5]。面積は53.9 haである[2]

概要 坂戸, 国 ...
坂戸
町丁
Thumb
Thumb北緯35度35分46秒 東経139度37分21秒
日本
都道府県  神奈川
市町村 川崎市
行政区 高津区
人口情報2024年(令和6年)12月31日現在[1]
 人口 9,192 人
 世帯数 4,800 世帯
面積[2]
  0.529468980 km²
人口密度 17360.79 人/km²
設置日 1991年(平成3年)11月25日
郵便番号 213-0012[3]
市外局番 044(川崎MA[4]
ナンバープレート 川崎
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地理

高津区の東部に所在し、全域が多摩川の沖積低地となっている[6]。一帯はミツトヨなどの工場が立ち並ぶほか、かつての池貝鉄工の跡地はかながわサイエンスパーク(KSP)として起業・研究開発の拠点となっている[7]。その他に、住宅も立ち並んでいる。

坂戸の南東端を第三京浜道路が通り、京浜川崎インターチェンジが、隣接する末長にかけて所在している[8]

坂戸は北端で旧平瀬川[9]を境界として二子北見方と、東端で中原区上小田中と、南端で末長と、西端で久本溝口と接している(特記のない町域は高津区)。

地価

住宅地の地価は、2024年令和6年)1月1日公示地価によれば、坂戸2丁目7-18の地点で32万1000円/m²となっている[10]

歴史

要約
視点

当地には条里制の遺構が残るが[6]、文献での初出は1325年正中2年)の「関東下知状」で、「稲毛新庄坂戸郷」という形で登場する[6]1352年正平7年)の「足利尊氏充行下文」には「稲毛庄坂郷」とあり[6]、「新編武蔵風土記稿」ではこれを元にかつて坂土と書いたとしているが[9][11]、上述のように、それ以前に坂戸と書かれた例があるので、これは単なる誤記であろうと考えられている[9][12]

江戸時代初期の当地は天領であったが、徳川家継の死に伴い、有章院殿御霊屋料として増上寺領となった[9]。村は、正保年間の「武蔵田園簿」で2928斗あまり、「元禄郷帳」では331石1斗あまり[6]1838年天保9年)の「志村家文書」では336石1斗あまり[13]、幕末の「旧高旧領取調帳」では331石あまり[14]というように推移していた。ほとんどが水田であり、米と麦の二毛作が行われていた[14]。用水としては、二ヶ領用水の分流である根方堀が当地を潤していた[15][11]。「新編武蔵風土記稿」では民家57軒[11]

明治維新以降は、行政上高津村→高津町川崎市と推移していった。明治から大正にかけては、商工業への従事者が出て農業人口こそ減ったものの、当地は純粋な農村であったが[16]昭和10年代に、南部の湿地帯を杭打ちで固めた土地へ池貝鉄工所が進出したり[9]、三豊製作所(現:ミツトヨ)など他の会社も当地に工場を構えた[8]結果、当地は大きく変化を遂げていった。残った農地にも、戦後には宅地化の波が押し寄せ[8]第三京浜道路の開通後には農村風景が一掃されてしまった[7]

1980年代に池貝鉄工は茨城県へと移転していったが、その跡地には民間事業者の能力の活用による特定施設の整備の促進に関する臨時措置法(民活法)の適用第1号事例としてかながわサイエンスパークが開設された[7]。かながわサイエンスパークでは、研究開発型企業の起業支援や、神奈川科学技術アカデミーとも連携した産官学共同の科学技術研究が行われている。

地名の由来

いくつかの説が考えられているが、正確なところはわかっていない[6][9]

  • 「砂地」を意味する「スカド」から転じた[6]
  • 現在の埼玉県坂戸市から移り住んだ人たちが、本貫の地名を付けた[6]
  • 「多摩川の下流にある場所」という意味合いの「サガド」から転じた[14]

沿革

町域の新旧対照

坂戸が住居表示を実施する前のは、以下のようになっていた[20]。なお、特記のない字はその一部が現町丁に含まれている。

さらに見る 現町丁, 住居表示実施前の字 ...
現町丁住居表示実施前の字
坂戸1丁目坂戸字上居村、久本字鴛鴦ヶ町
坂戸2丁目坂戸字上居村・字下居村・字新田耕地、上小田中字上耕地
坂戸3丁目坂戸字溝下耕地の全部、坂戸字窪田耕地・字三町歩耕地・字下居村・字新田耕地
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世帯数と人口

2024年(令和6年)12月31日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

さらに見る 丁目, 世帯数 ...
丁目世帯数人口
坂戸1丁目 1,438世帯 2,526人
坂戸2丁目 1,345世帯 2,691人
坂戸3丁目 2,017世帯 3,975人
4,800世帯 9,192人
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人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

さらに見る 年, 人口 ...
人口推移
人口
1995年(平成7年)[21]
7,712
2000年(平成12年)[22]
7,711
2005年(平成17年)[23]
8,467
2010年(平成22年)[24]
8,324
2015年(平成27年)[25]
9,025
2020年(令和2年)[26]
9,335
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世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

さらに見る 年, 世帯数 ...
世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[21]
3,150
2000年(平成12年)[22]
3,299
2005年(平成17年)[23]
3,893
2010年(平成22年)[24]
4,004
2015年(平成27年)[25]
4,400
2020年(令和2年)[26]
4,627
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学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年10月時点)[27][28]

さらに見る 丁目, 番地 ...
丁目番地小学校中学校
坂戸1丁目1番3~10号
6番1〜2号
6番31号~最終号
川崎市立久本小学校川崎市立高津中学校
1番1~2号
1番11号~最終号
2~5番
6番3~30号
7~17番
19番以降
川崎市立坂戸小学校
18番川崎市立東高津中学校
坂戸2丁目1~18番16号
19番以降
18番17号~最終号川崎市立大谷戸小学校川崎市立西中原中学校
坂戸3丁目1番川崎市立坂戸小学校川崎市立高津中学校
2番以降川崎市立東高津中学校
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事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[29]

さらに見る 丁目, 事業所数 ...
丁目事業所数従業員数
坂戸1丁目 67事業所 2,519人
坂戸2丁目 42事業所 217人
坂戸3丁目 149事業所 2,587人
258事業所 5,323人
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事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

さらに見る 年, 事業者数 ...
事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[30]
266
2021年(令和3年)[29]
258
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従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

さらに見る 年, 従業員数 ...
従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[30]
5,326
2021年(令和3年)[29]
5,323
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交通

鉄道

南武線とわずかに接している(武蔵新城駅 - 武蔵溝ノ口駅間)が、当地に駅はない。

バス

Thumb
溝の口駅とKSPを結ぶシャトルバス(溝の口駅前)

当地に路線バスは通っていないが、かながわサイエンスパークと溝の口駅を結ぶ無料シャトルバスが運行されており、一部時間帯を除いて誰でも乗車可能[31]なほか、近隣のバス停から路線バスを利用することもできる。

道路

Thumb
京浜川崎IC入口(東京方面は当地に所在)

施設

Thumb
ミツトヨの本社・溝の口工場

その他

日本郵便

警察

町内の警察の管轄区域は以下の通りである[33]

さらに見る 丁目, 番・番地等 ...
丁目番・番地等警察署交番・駐在所
坂戸1丁目全域高津警察署北見方交番
坂戸2丁目全域
坂戸3丁目全域
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関連項目

脚注

参考文献

外部リンク

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