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和多屋別荘(わたやべっそう、会社名:株式会社和多屋別荘)は、佐賀県嬉野市に本社を置く旅館業を営む企業、ならびに温泉旅館の名称。
佐賀県嬉野温泉の老舗温泉旅館。嬉野川を挟む2万坪の敷地に、黒川紀章設計の「タワー館」や江戸時代の長崎街道を再現した「花鳥苑」、小露天風呂付の部屋を備えた「みやび館」、和室「温泉郷」、和風建築「水明荘」の5つの棟で構成されている。
旧長崎街道の商店街に面しており、江戸時代には薩摩藩(島津家)の御用宿となっていた歴史がある。その歴史的由来を活かすため薩摩藩の家紋が社章として定められた。
昭和天皇が宿泊した水明荘の特別貴賓室「洗心」、皇太子徳仁親王、秋篠宮文仁親王が宿泊したタワー館「ロイヤルスイートルーム」がある。前述の特別貴賓室「洗心」は、第20期竜王戦七番勝負第4局やお〜いお茶杯第63期王位戦七番勝負第4局の会場(予定)[1]としても使用された。
1950年(昭和25年)開業当時のキャッチフレーズは、「日本に名所が又一つ、嬉野湖畔の別天地」で、創業者の小原嘉登次が考案した。また開業に際し、関西以西の西日本各地にセスナ機で200万枚の空中宣伝ビラを散布し、「旅は九州へ・九州へお越しの節は嬉野温泉へ・和多屋別荘」の宣伝文句で、嬉野温泉の名を一躍全国区へと押し上げた。
2008年9月、宮崎市青島で廃業から15年以上放置されていた橘ホテルの跡地につき、再開発を行う事業者に決定した[12]。2009年12月より解体工事が始まり、2010年6月に完了した[13]。跡地には新たにホテルが建設される予定であったが、2012年5月に宮崎市は和多屋別荘が設立した事業会社が撤退を決めたと発表し、再開発計画は白紙となった[14]。事業会社と土地を管理する宮崎市折生迫財産区との間では、事業会社側から撤去費用の損害賠償を求める訴訟が、財産区の側からは土地賃料の支払と明け渡しを求める訴訟がそれぞれ宮崎地方裁判所に起こされた[15]。土地明け渡しについては2012年11月28日に両者の間で和解が成立[15]、損害賠償訴訟については2014年3月28日に宮崎地裁は事業会社の請求を棄却し[16]、事業会社側は控訴を断念した[17]。
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