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日本のジャズ・クラリネット奏者、作曲家、バンドマスター (1929-) ウィキペディアから
北村 英治(きたむら えいじ、1929年4月8日 - )は、東京府出身のジャズ・クラリネット奏者。
慶應義塾大学在学中にクラリネットを学ぶ。22歳でプロデビュー。30歳の時、憧れだったベニー・グッドマンが来日した際には彼の目の前で演奏し、賞賛を受けたこともある。
主なアルバムには、1960年7月5日、東京・産経ホールで行われたコンサートの模様を収録した『北村英治のすべて』(コンサートの構成、アルバムの解説を大橋巨泉が手がけた。2009年にCD化)、原信夫とシャープス・アンド・フラッツと共演した『ベニー・グッドマン作戦〜あの名演が蘇る!』(1963年、キングレコード)、テディ・ウィルソンと北村英治の共同リーダー・アルバム『テディ・ミーツ・エイジ』(1970年、Trio)、『スイング・スペシャル』(1971年、Trio)、『Live Session』(1972年、Century)、『Keep On Swingin' 』(1973年、GML)がある。
1980年に、コンコード・ジャズ・オールスターズとの共演アルバム『ディア・フレンズ』を発表[1]。1983年にはスコット・ハミルトンのアルバム『イン・コンサート』(Concord)の録音に参加した。
その後、50歳を過ぎてからクラシックの要素を取り入れた演奏も行うようになる。そのため後輩にあたる村井祐児に弟子入りし、クラシックにおけるクラリネットの演奏法を学んだことで音楽の幅が広がった。
その後も日本のジャズ・クラリネットの草分け的存在として、欧米のジャズ・フェスティバルにも招待されるなど、幅広い活躍をしている。80歳を越えた高齢ではあるが、現在でもライブハウスでのセッションを精力的にこなしている。ジャズの作曲も手がけており、「五月によせて」などの作品がある。
2012年に心筋梗塞で倒れ、入院したが後遺症などはなく退院した。
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