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日本の作曲家、編曲家、トロンボーン奏者、評論家 (1927-2014) ウィキペディアから
河辺 浩市(かわべ こういち、1927年5月3日 - 2014年9月3日[1])は、日本の作曲家・編曲家、トロンボーン奏者、評論家。「河辺公一」と表記される事も多い。
1949年東京音楽学校(現東京芸術大学)卒業。作曲を橋本國彦、紙恭輔に師事。1951年同研究科卒業。作曲家の黛敏郎は同窓であり、その出世作「10楽器のためのディヴェルティスマン」初演には「石辻桂一」名義で加わっていた。音大卒業と同時に日本交響楽団(現NHK交響楽団)研究員となる。
ジャズトロンボーン奏者としても著名であり、晩年まで演奏活動を行っていた。戦後直後、占領軍専用劇場「アーニー・パイル」の楽団に所属していた。楽団には作・編曲家の岩井直溥(トランペット)やサックス奏者の阪口新、作曲家の早川博二(トランペット)など著名な作曲家やプレーヤーが所属していた。また、学生時代には1年先輩の岩井直溥(ホルン)、2年先輩の芥川也寸志(テナーサックス)と演奏していた。また、初代ブルーコーツにも所属していた。
1958年に日本コロムビアに専属。河辺公一名義で数多くの映画音楽を手掛ける。
1973年に吹奏楽曲「行進曲『青空に希望して』」がJBA作曲賞を受賞(河辺公一名義)。1974年に全日本吹奏楽コンクール課題曲に「高度な技術への指標」が公募入選で選ばれる(河辺公一名義)。1975年にも全日本吹奏楽コンクール課題曲に「シンフォニック・ポップスへの指標」が公募入選(河辺浩市名義)、「阿波踊考」が下谷賞の佳作に選ばれた(河辺公一名義)。1976年も「ベースボール・マーチ」が下谷賞の佳作に選ばれる(河辺浩市名義)。また、1973年、74年には、河辺公一名義で吹奏楽の定番シリーズニュー・サウンズ・イン・ブラスの編曲者を務めていた。
また、評論家としても活動しており、主に競輪や競艇の指南書を中心に多くの書籍を出版していた。
2014年9月3日死去。87歳没。
(1960年)
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