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子を分娩すること ウィキペディアから
出産(しゅっさん、独: Geburt、英: birth, childbirth)とは、妊婦から子が産まれること、子を分娩することである[1][注 1]。お産(おさん)とも呼ばれる。
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「分娩」と比較して「出産」や「お産」はより一般的な語であり、社会的・文化的側面も含まれている。生物学的に言えば、出産は胎生の動物における雌の胎部から胎児が出ること、或いは出すことを指す語である。出産後の妊婦が元の状態に戻るまでの約6 - 8週間の期間を、産褥期(さんじょくき)」と呼ぶ[2][3]。
性行為または不妊治療などの生殖医療の利用によって受精後平均266日、胎児が十分成熟して体外に出る場合を正期産と呼ぶ。正期産に至るまでの期間や出産時の成熟度は種によってまちまちである。標準より早い場合は「早産」、さらに事故に近い場合を「流産」、遅い場合は「過期産」と呼ぶ。
出産前、あるいは最中に羊膜が破れ、羊水が出ることを破水(はすい)という。出産後、胎盤などが排出されることを後産(あとざん・のちざん)という。
分娩が比較的楽な場合は「お産が軽い」(安産)、何らかの困難を伴う場合は「お産が重い」(難産)という言い方をする。カンガルーのようにごく小さく産む種では出産は軽いが、大型草食動物のように胎児を十分に成長させてから出産する場合や、ヒトのように骨盤底骨が発達している場合、骨盤下口が胎児とくらべて狭いので、胎児が大きい場合出産は重くなる。ヒトの中でも初産年齢や恥骨結合の状態などで異なる。
江戸時代における出産に関する記録のなかで、産婆については「産婆にふさわしい人」として
と記されている[4]。大名行列を横切ることも、出産の取り上げに向かっている産婆には特例として許されていた。産科の医者は存在していたが、全て男性だったため、恥ずかしさの余り医者に身を委ねる妊婦は少なかった。その為、産婆だけでも安全な分娩が出来る様に指導書が出版されていた[5]。また出産に関連する物として
がある。そして、出産時は座らせて行っていた。そして出産後は「頭に血が上ってはいけない」という俗説から、座ったまま7日間不眠で過ごさなければならなかった(意識を失って死んでしまうのを恐れたため)[7]。
出産は子供にとっては母親からの生理学的に独立した存在になることを意味する。これまでは胎盤を通じて母親から栄養を補給され、母親に排出物処理を依存し、酸素や二酸化炭素などのガス交換も胎盤を通じて行っていたものが、出産によって全て自分で処理しなければならなくなる。産まれた子がまず最初にしなければならないことが、肺への外気の吸入である。産声には、この活動を促進する意味があるとされる。
また、母胎の酸素分圧の低い血液から酸素を受け取るための胎児性赤血球は、数日のうちに通常の赤血球と置き換えられる。その際、赤血球の分解にともなって黄疸の症状が出る。
母親の側から見れば、出産は妊娠の終了と共に育児の開始である。生理的には胎盤から放出されていた女性ホルモンの分泌の停止と共に、妊娠状態は解除され、プロラクチンが放出され母乳の分泌が促進され、子への愛情が高まる(と同時に、子以外の人々への攻撃性が高まる)。
伝統的な社会では、出産には自然的な力が作用するものと考えられ、めでたいことであると同時に非日常的なできごとであると認識されている。そこで、産屋(うぶや)を設けてそこで出産前後を過ごさせるなどによって、外部の人間、とりわけ男性の接近をタブーとするなどの習慣がみられる。そして、出産は月経と同様に不浄なものであるとされ、産後に浄化儀礼が行われる社会も多くみられる。将来の出産に備えて婦人科検診を受けるなど、出産のための活動は「産活」[9][10]と呼ばれる。
陣痛とは、出産を前に子宮がくり返す規則正しい収縮のこと。またそのときに母体が感じる痛み。初期には間隔も長く、「腹が張る」・「硬くなる」といった程度だが、お産が進むに連れて間隔が短くなっていき、収縮の度合もきつくなり「痛み」を認識するようになる。出産前にお産の痛みの強さを予測することは難しく、一人ひとり痛みの感じ方は異なる。お産の痛みを調べた研究によれば、初産婦の方が経産婦よりも痛みを強く感じ、初産婦・経産婦問わずお産の痛みは、がんによる痛みや関節痛など、とても強い痛みとして知られている痛みよりもさらに強いものという結果が得られている[12]。最も強い段階では、俗に「障子の桟が見えなくなるほど」と形容され[13]、妊婦がパニックを起すこともある[14]。しかし、ラマーズ法(Lamaze Technique)などによる精神・肉体両面の準備があればある程度、感じ方を軽くすることも可能である[15]。全く痛みを感じずに分娩を希望する場合は、硬膜外麻酔による無痛分娩を選択することになるが、すべての症例において完全な除痛を達成できるわけではない[16]。陣痛はお産の進行に応じて下記の通りに変化する。
陣痛が始まってから子宮の出口が完全に開くまでの分娩第Ⅰ期には、腹部の下のほうから腰にかけて痛みを感じる。陣痛の始まったばかりの頃の痛みは比較的軽く、「生理痛のような痛み」または「お腹をくだしているときのような痛み」と感じる妊婦が多い。お産が進み子宮の出口が半分くらい開いてくる頃に痛みは急に強くなり、また痛みを感じる範囲も広がってくる。 分娩第Ⅰ期の終わる頃には、へその下から腰全体、そして外陰部にかけてとても強く痛むようになる。 この段階での痛みを「腰がくだかれそう」と表現する産婦も存在する[12]。
子宮の出口が完全に開いて分娩第Ⅱ期に入る頃には、痛みは外陰部から肛門の周りで特に強くなってくる。子が産まれる間際には、外陰部から肛門周囲の痛みはピークに達する。 この痛みを「すごく強い力で引っ張られる」、「焼けつくような痛み」と表現する妊婦も存在する[12]。
分娩は妊婦にとって命がけの行為である。周産期医学の発達でかなりのリスクは軽減され、周産期死亡率は日本国内では著しく低下した。2007年度の日本の周産期死亡率は、1,000名の出産に対して4.7名であり世界で最も小さいが、それでも妊娠高血圧症候群・前置胎盤・癒着胎盤・へその緒の巻絡・大量出血・HELLP症候群・ペリネイタル・ロス(流産・死産・人工死産・新生児死亡・人工妊娠中絶など、出産を取り巻く新生児の喪失)など、リスクはなくなっていない。
分娩後出血は、世界的にみても妊産婦死亡原因の第一位であり、そのほとんどがアフリカをはじめとした途上国で起こっている[17]。出血の原因のほとんどは弛緩出血であり、子宮双手圧迫法(腟内に手を入れ、もう片方の手を腹の上に置き、両手で子宮を挟み込むように圧迫する)で出血点を直接圧迫したり、オキシトシンなどの薬剤投与で出血がコントロールできない場合、子宮内バルーン(Bakriバルーン)を留置し、子宮内からの圧迫で止血を試みる[17][18]。
・世界最年少出産はペルー人のリナ・メディナで、1939年に5歳で出産した[19]。生まれた息子は40歳まで生きたが、息子の父親は現在でも明らかにされていない。日本の歴史上の出来事としては、前田利家の妻の芳春院が長女の春桂院を、徳川家康の曽孫で蜂須賀至鎮の妻の敬台院が長女の三保姫を満11歳頃に出産したことが知られている。
妊婦、胎児ともに順調であれば自宅出産も不可能ではないが、現在では自宅出産を仕切る「助産師」は見つからない。また母児どちらか片方でも、妊娠高血圧症候群、骨盤位、双胎など、何らかのリスクが高い場合は病院出産が勧められる。自宅出産は高リスクであり、「自宅出産は病院など医療が介入する出産に比べ、新生児死亡率が3倍にも上る」との論文が医学雑誌ランセットで発表されている[22]。
助産所において助産師が、もしくは家庭等の出産場所に出向いてくる助産師が出産を取り仕切る。リスクの低い妊婦のみ。状態が少しでも悪くなりかけたら、産科医と連絡を取る必要がある。しかしながら病院と異なり高度の医療技術を施すことの出来ない助産所の場合、分単位の緊急性を要する処置が行えず、生涯に渡り後遺症を残すような障害の危険性は高くなる。
日本では第二次世界大戦前や戦後の混乱期までは国民の90%以上は自宅で出産していたが、戦災からの復興期や高度成長期以後は病院での出産が増加し、高度成長期が終わったころには国民の90%以上が病院で出産するようになった[23]。
戦災復興が緒についた1950年代以降は、医学や医療技術の向上、経済の発展と政府の収入と社会保障支出と医療費と医療費の公費負担額の増加により、病院での出産が増加し、高度成長期が終わったころには国民の90%以上が病院で出産するようになり、現在では国民の99%が病院で出産している[23]。その結果、妊産婦死亡率[24][25]、周産期死亡率[26][27][28]、新生児死亡率[29]は時代の進行とともに減少し史上最少値を更新している。
世界の諸国でも、地域別でも、所得水準別でも、世界全体でも、国ごとに経済や医療の発展段階に差があり、妊産婦死亡率、周産期死亡率、新生児死亡率に差があるが、医学や医療技術の向上、経済の発展と政府の収入と社会保障支出と医療費と医療費の公費負担額の増加により、いずれも時代の進行とともに減少し史上最少値を更新している[30][31]。
英国の研究チームの発表によると、朝食を抜いたり低カロリーの食事を摂ったりする女性は、女児を出産する可能性が高いという研究結果を発表した。高カロリーの食事を摂ると男児が産まれる確率が高いという。現在出生前診断や人工妊娠技術を男女の生み分けを目的として行うことは禁止されている。しかしながら中華人民共和国・インド等のアジア地域では新生児の男女比が極端に男性に傾いていることから男女の生み分けが行われている。
胎生(および卵胎生)の動物には全て出産があるが、その様子は動物によって様々である。犬は品種によっても異なる。比較的難産が多いのは大型草食動物である。生まれた子供は肉食動物の捕食目標になりやすく、親も巣に籠もって育てるのが難しいので、ある程度以上大きく生んで、生まれてすぐに逃げ回れるようになっていなくてはならず、そのためには大きく四肢の発達した状態で出産を迎える必要がある。長い四肢は出産では邪魔になりがちであることもまた難産の一因とされている。またヒトは直立二足歩行を行うため、内臓を保持する必要から骨盤底骨が発達しており、出産に困難がともない、胎児を小さく未熟な状態で出産しなければならない。
出産時、胎児は普通は頭から出る。この方法は一番抜け出しやすいため、合理的である。まれに逆に出る場合があり、これを逆子という。逆子は難産になりやすい。逆に後ろから出るのを常とするものもある。イルカやクジラがそれで、これは彼らが水中で出産することに依るものである。その場合、まず頭がでてしまうと、その時点で胎児は空気呼吸を求められることになる。しかし後半身が母胎に残っていては空気中に出られないため、そのまま溺れる可能性が高くなる。出産した子は母親に助けられて水面に出て、最初の呼吸を行う。なお、中生代の海棲爬虫類である魚竜にも、卵胎生のものがあったことが知られており、その出産がやはり尾からであったことが化石から確認されている。
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