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内田 定槌(うちだ さだつち、元治2年1月17日[1](1865年2月12日)– 昭和17年(1942年)6月2日[2])は、日本の外交官。駐ブラジル公使、駐スウェーデン公使、駐トルコ大使。
内田 定槌 | |
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生年月日 | 1865年2月12日 |
出生地 | 豊前国小倉 |
没年月日 | 1942年6月2日(77歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学 |
称号 |
正三位 勲二等旭日重光章 勲一等瑞宝章 イタリア王国 王冠第一等勲章 スウェーデン国 北極星第一等勲章 |
配偶者 | ヨフ |
子女 | 勳夫(長男) 小夜(長女) 勝代(次女) 茂登(四女) |
親族 |
せい(母) 齢治(弟) 幸(長男の妻) 伊丹松雄(長女の夫) 高木一三(次女の夫) 井上重喜(四女の夫) |
在任期間 |
1906年12月27日 (全権公使 1907年10月9日~) - 1912年1月22日 |
在任期間 | 1912年1月23日 - 1920年6月18日 |
在任期間 | 1912年1月23日 - 1920年6月18日 |
在任期間 | 1917年7月18日 - 1920年6月18日 |
在任期間 |
1920年12月4日 (全権大使 1923年1月31日) - 1923年5月8日 |
その他の職歴 | |
在上海日本副領事 (1890年9月2日 - 1893年7月10日) | |
在京城領事日本領事 (1893年11月10日 - 1896年9月10日) | |
在ニューヨーク日本総領事 (1896年9月11日 - 1906年12月26日) | |
日土協会会長 (1926年 - 1929年) |
豊前国小倉(現在の福岡県北九州市)出身[1]。1889年(明治22年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、外務省試補となった[3]。翌年、上海副領事となり、漢城領事、ニューヨーク領事、同総領事を歴任した[3]。1906年(明治39年)にブラジル弁理公使となり、翌年に特命全権公使となった[3]。その後、スウェーデン公使に就任し、デンマーク公使、ノルウェー公使も兼ねた[3]。1920年(大正9年)、トルコに派遣され、のち大使に昇格した[3]。
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