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克美しげる
日本の元歌手 ウィキペディアから
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克美 しげる(かつみ しげる、1937年12月25日 - 2013年2月27日)は、日本の歌手。本名は津村 誠也(つむら せいや)。1975年から1976年にかけては芸名を『克美 茂』と表記していた。歌手として活躍中に殺人事件を起こし収監されたことで知られる。
1950年代末に始まったロカビリー・ブームを追い風に、ヒットポップスの日本語カバーでヒット曲を連発、その後、テレビアニメ『エイトマン』の主題歌や『さすらい』などのヒット曲によって流行歌手として活躍した。
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生涯
要約
視点
生い立ち
1937年、宮崎の大きな材木屋を経営する裕福な家に生まれた。中学はクリスチャン系の私立の中学校に入れられ、聖歌隊のメンバーになり、その顧問の先生にソロを取るように言われたことが、歌への目覚めであった[1]。
1956年、宮崎県立宮崎大宮高等学校へ進学するも、家業が傾き、家計を助けるために得意のギターで仲間と音楽グループを結成、クラブのステージにも立つようになる。学校にばれて何度も停学になるが、活動を続けていた。
その頃、ロカビリーブームが起きて、テレビも普及しておらず情報がない中、自身もその波に乗り遅れたくないという想いが強くなり、高校3年の時に家出同然で飛び出し、宮崎を汽車で発つ。その頃東京までは1日半かかり、自身と似た境遇の若者は途中の大阪で下車する者が多かったが、克美は大阪のジャズ喫茶で水原弘が歌っていることを知り、ステージを観に行き、終わって楽屋に付き人を志願。そのまま水原の付き人になる[2]。なお、採用には至らなかったが、水原から有名なバンドリーダーを紹介されるなど、両者の親交は長く続いたという話もある。
高校卒業後、神戸に転居。関西で活動していた“マウンテン・ボーイズ”にバンドボーイとして採用され、その1年後には同バンドで最年少ながら、自ら名乗った芸名・勝己しげる[注釈 1]でボーカルを担当し、人気を博した。
レコードデビュー
1960年、NHK(大阪放送局)が主催したオーディションに合格。1961年、芸名を「克美しげる」に改め、同じく改名したバンド “ロック・メッセンジャーズ”と共に東京に進出した。ジャズ喫茶でのステージにて東芝レコードのディレクターからスカウトを受け、ジョン・レイトンのヒット曲『霧の中のジョニー』の日本語カバーでレコードデビューし、40万枚[3]を売り上げるヒットとなった。
NHK紅白歌合戦に出場
1963年、テレビアニメ『エイトマン』の同名主題歌を歌った。1964年、歌謡曲路線に転じた『さすらい』が60万枚[3]のヒットとなり、翌1965年と2年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。また1965年には『人形佐七捕物帳』(NHK総合)に豆六役でレギュラー出演を果たした。その年には念願だったアメリカへエルヴィス・プレスリーに会いに行くが、それは叶わず、代わりにフランク・シナトラ、ディーン・マーチン、サミー・ディビス・ジュニアなどに楽屋で直接会うことができた。キャピタルレコードでは、日本語の『枯葉』を吹き込むナット・キング・コールにも会え、ビーチボーイズの録音にも遭遇。ビーチボーイズのメンバーは克美の片言英語を面白がり、『霧の中のジョニー』を歌って、ビーチボーイズのアルバムにも収録されたという[4]。
人気低迷と愛人殺害
その後1971年辺りから人気が低迷。当時克美には妻が居て長女も生まれ、専属バンドのメンバー10人を抱えており、彼らを食べさせていかなければならなかった。
人気低迷からの脱却を図って音楽関係者への接待を続け、1000万円もの借金をつくる。「妻とは離婚した」と嘘をついて、当時交際していた銀座の人気ホステスOから毎月30万円(現在の貨幣価値で100万円)を貰い、借金1000万円を返済する。途中で妻子がいることが判明し、「妻とは別れてくれ」と懇願されるようになったが、娘が可愛いため離婚は考えていなかった[5]。その後も克美は賭けマージャン等のギャンブルで再び借金をつくり、Oに貢がせた金でその借金を返済するなど、やりたい放題の生活を続けた。Oはホステスの収入だけでは足りなくなり、トルコ風呂で働いて貢ぎ続けた。最終的にOに貢がせた金額は、当時の金額で3500万円に達した。克美は岡山にあるOの実家を訪れ、Oの親に「娘さんと結婚したい」と告げ、親戚・友人らを招いてOとの偽装結婚式まで挙げるに至った。
一方、古巣の東芝レコードでは低迷した歌手のカムバック作戦(復活作戦)「3000万円作戦」を展開しており、師匠の水原が『君こそわが生命』で成功を収めた後、3番目に選ばれたのが克美だった。1975年、芸名表記も「克美茂」と改め、『傷』で再デビュー。このとき会社から「大掛かりなプロジェクトだが、身辺は大丈夫か?」と聞かれ、愛人Oのことを考え動揺する。克美に業を煮やしたOは、本番中の客席など公の場に現れることが多くなっていた。スタッフの中にもOの存在に気づく者がいたが、熱心なファンだと誤魔化していた[5]。やがて克美はOとの不倫が発覚しスキャンダルになることを恐れ、Oのもとを離れて妻子と暮らし始めた。
復活作戦用の新曲『おもいやり』はすでに有線放送で人気曲となり、北海道キャンペーンが1976年5月6日から始まることになっていた[5]。Oはこの巡業旅行に同行することを望んだ。しかし、克美はこれがスキャンダルになるとして拒み、O(当時35歳)に対し「北海道へは一人で行くからね」と伝えたところ、「何言ってんの!これから奥さんのところに行って決着をつけてくるわ!」と激昂され、激しい口論となった。明け方、Oが寝静まると克美はOの首を絞めて殺害する。札幌に出発する5月6日の午前4時ごろの出来事だった[6]。遺体をどこかに埋めるつもりで知人が所有する自動車を借りたが、適当な場所が見つからず、トランクに遺体を隠したまま、当日午前5時頃羽田空港へ向かい、そのまま空港の駐車場に駐車し、北海道へ出発した[7]。
5月8日に遺体が発見され、車の所有者から割り出された克美が逮捕された。全国のレコード店に並んでいた新曲はすぐに回収されたが、一時的なヒットを記録した[8]。
出所後
服役当時模範囚だったことから[9]、事件から7年後の1983年10月、収監されていた大阪刑務所から仮出所した。「殺人もしながら8年の服役は短い」と非難されることもあり、引きこもり生活にもなるが、かつてのバンド仲間でもある元マネージャー・大谷羊太郎(推理作家)の助力を得て音楽事務所を開く。二人の連れ子のいる女性と再婚(3度目の結婚)するも数年で破局[10]。カラオケ教室を設立し、自ら指導もしていた。
1989年5月11日、覚醒剤取締法違反(不法所持)で逮捕され、懲役8ヵ月の実刑判決を受けた。
1996年、31歳年下の女性と4度目の結婚をするが、その後は心臓病・脳梗塞・顔面麻痺などの病気に相次いで襲われた。後に体調は回復し、2000年代に入ると、キー局制作全国ネットを含むテレビ番組などのメディアにも出演するようになり、地域の行事に参加したり、写経を日課として懺悔を続けるなど、自身の日常生活について取材を受けることもあった。
2004年2月に、「かっぱちゃんの歌謡スタジオ101」(テレビ神奈川)第一回目の話題作りにと、克美の出演が決まり収録も行われ、『さすらい』と獄中で作った『俺の故郷』を歌うと、店内にいた常連客も久しぶりに見た克美に大声援を送り、収録後『エイトマン』を歌うと涙ぐむ者もいた。ところが、放送1週間前に「克美しげる出演に問題あり」と通達があり、克美出演部分は全てカットされてお蔵入りとなった[11]。一方TBSテレビは全国ネット番組に出演させ、その中で『エイトマン』を歌唱するなど、局によって対応が分かれた。
2006年11月、克美の代わりに『おもいやり』を歌った黒木憲が逝去。東芝の後輩でもあり友人でもあったため、克美はお別れ会に思い切って参加した。おかげでかつての懐かしい面々と顔を合わせ旧交を温めることができた。克美は「自身の罪が消えることはないが、それまでのわだかまりが消えて、参加してよかった」[12]と後に語った。
2007年12月に出版された石橋春海『蘇る封印歌謡 いったい歌は誰のものなのか』(三才ブックス)にインタビューが掲載され、付録CDに新録音の『さすらい』『おもいやり』『エイトマン』が収録された。自主制作のカセットテープなどを除けば、凡そ30年ぶりに新音源が全国発売されたことになる。
2008年3月には都内で30年ぶりのライブを行い、「これで吹っ切れた思いです」となどと語っていた[13]。
死去
2013年10月2日、同年2月27日に脳出血により死去していたことが報じられた[14]。日刊スポーツでは「群馬県内で死去」と報じているが、スポニチアネックスでは「栃木県佐野市の病院で死去」と報じている[15]。75歳没。
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ディスコグラフィ
シングル
- すべて東芝からリリース。
- 52枚目の「ヴェニスの船唄」から54枚目の「おもいやり」は克美茂名義。
アルバム
タイアップ曲
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出演
テレビドラマ
映画
NHK紅白歌合戦出場歴
参考文献
- 封印歌謡大全(石橋春海著。2007年4月、三才ブックス)ISBN 9784861990663
- 克美へのインタビュー記事(12ページ)、『エイトマン』『さすらい』『おもいやり』についての解説を掲載。
- 蘇る封印歌謡 いったい歌は誰のものなのか(石橋春海著。2007年12月、三才ブックス)ISBN 9784861991097
- 60ページ以上にわたるインタビュー記事を掲載。新録音版『さすらい』『おもいやり』『エイトマン』を収めたCDが付録となっている。
- 日本の60年代ロックのすべて COMPLETE ロカビリー登場からGS革命まで(黒沢進著。2008年3月、シンコー・ミュージック)ISBN 9784401751198
脚注
関連作品
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