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滋賀県甲賀市の貴生川駅から信楽駅までを結ぶ信楽高原鐵道の鉄道路線 ウィキペディアから
信楽線(しがらきせん)は、滋賀県甲賀市の貴生川駅から信楽駅までを結ぶ信楽高原鐵道の鉄道路線である。
信楽高原鐵道の唯一の路線であり、滋賀県内の鉄道路線で唯一の非電化路線でもある。旧国鉄の特定地方交通線を転換した路線で、信楽焼の産地である信楽に通じている。
信楽線のうち、全長の約半分を貴生川駅と紫香楽宮跡駅の間の勾配区間が占める。路線は、貴生川駅を出ると右にカーブして杣川橋梁で杣川をまたいだ[3]後、旧北杣村の田園地帯を通過し、県道草津伊賀線や国道307号を架道橋で越えてから上り坂に差し掛かる[3]。その後は山間部に入り、急カーブの連続と33 ‰の勾配[4]で小野谷信号場跡の先まで走り、新名神高速道路と国道307号との立体交差地点を過ぎると平地を走る。規格は簡易線規格であるのでこの区間は最小曲線半径200 m、最大勾配33 ‰、施工基面幅4 m 20で建設されており、庚申山の峠は高低差が170 mあるもののコスト削減を図るためにトンネルによらず曲線で建設されている[5]。雲井駅を過ぎると大戸川を2回交差して信楽駅に至る[5]。
勅旨駅 - 玉桂寺前駅間にある第一大戸川橋梁は、1953年8月の集中豪雨によって鋼製の橋梁が流失し、翌1954年にプレストレスト・コンクリート橋として再建された。これは従来スパン10メートル程度に留まっていたものをスパン30メートル程度にまで拡大したもので、これがきっかけとなって長いスパンの道路・鉄道橋へのコンクリート橋の応用が始まった。2008年現在でも問題なく列車を通し続けており、コンクリート橋の適用のきっかけとなった橋との評価から、2008年6月20日に文部科学省文化審議会により登録有形文化財として登録するよう答申がなされ[6]、同年7月8日に登録された[7]。
一部列車で次の停車駅の案内や駅到着の車内放送の前後に停車駅沿線の観光施設等の案内や信楽高原鐵道の歴史を放送している。
すべて線内折り返し列車でワンマン運転を行っている。平日・休日ともに1日15往復が運行されている[9]。日中は1時間あたり1本運行されている。1991年5月14日の列車衝突事故以来、他線との直通運転は行っていない。
2015年3月2日[10]現在、信楽駅の始発は6時14分、貴生川駅の最終は22時39分である。2006年3月17日までは最終列車が22時台であったが、翌18日のダイヤ改正で、23時台に繰り下げられた。2012年3月17日に、22時台に戻された。
1962年(昭和37年)から第三セクター転換までは1日9往復であった[11]。1980年(昭和55年)までは貴生川から草津線へ直通する列車もあったが、草津線電化に伴い直通は廃止された[12]。
国鉄時代はそのほか、草津線柘植駅から(貴生川駅で信楽行きと、草津行きに分割)と、草津駅から(貴生川駅で信楽行きと柘植行きに分割)の直通運転も設定されていた[13]。
滋賀県内の路線だったが、関西本線の支線だった関係上、草津線とともに全線が天王寺鉄道管理局の管内であった。
1922年(大正11年)5月に鉄道敷設法が公布されて間もない大正11年第46回帝国議会の協賛で草津線貴生川駅から関西本線加茂駅までの区間が建設線に編入された[3]。1924年(大正13年)4月1日に日本国有鉄道岐阜工事局の所管となり、1929年(昭和4年)5月16日に着工、1933年(昭和8年)5月8日に貴生川 - 信楽間が開業した[3]。開業直後の昭和8年第64回帝国議会で信楽 - 加茂間は建設線から予定線に変更され、それ以降は建設が進んでいない[3]。1943年(昭和18年)から1947年(昭和22年)にかけては不要不急線としてレール・枕木の供出に迫られ、全線で休止していた[12]。1947年(昭和22年)の営業再開にあたっては信楽町民が枕木の提供や工事への奉仕があったとされる[12]。1962年(昭和37年)から無煙化や列車の増発が行われてきたが、この頃から自動車の普及が進んでいく[12]。1968年(昭和43年)に国鉄諮問委員会が策定した赤字83線に信楽線はその1つとして指定され、1981年(昭和56年)に特定地方交通線第1次廃止対象路線に指定された[12]。これを受けて1983年(昭和58年)6月21日に第1回信楽線特定地方交通線対策協議会が開催されたが、廃止の基準となる昭和52年 - 54年平均の旅客輸送密度が1574人であるのに対し、1981年(昭和56年)には廃止対象の2000人を超えて2076人であることが判明したため対策協議会は中断された[12]。一時的に廃止の危機から免れたものの、1986年(昭和61年)4月には旅客輸送密度4000人未満の第3次廃止対象路線の指定を受け、同年9月に開催された第5回対策協議会において第三セクターへの運用転換されることで了承された[12]。
本路線は、改正鉄道敷設法別表第76号に掲げる「滋賀県貴生川ヨリ京都府加茂ニ至ル鉄道」の一部として計画されていたが、信楽 - 加茂間は建設されず、代わって2002年までJRバス近城線が信楽駅 - 加茂駅間に運行されていた。
現在、近江鉄道本線と信楽高原鐵道信楽線を改良した上で、信楽駅から片町線(学研都市線)までの新線を建設する「びわこ京阪奈線」(仮称)の構想がある。滋賀県及び関係自治体により、建設期成同盟会が結成されている。
( ) 内は貴生川駅からのキロ程。
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