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佐伯 弘治(さえき こうじ、1928年 - 2016年2月3日 )は、日本の法学者,柔道家。専攻は民法、法社会学。前学校法人国士舘理事長。学校法人日通学園学園長。流通経済大学名誉学長。学生柔道の振興にも寄与した。
富山県立富山商業学校[1],国士舘専門学校を経て、1951年、法政大学法学部卒。
1953年、法政大学大学院(旧制)修了。指導教授は薬師寺志光[2]。
大学院修了後、法政大学短期大学部商経科講師(法政大学柔道部監督と兼任)を経て、1965年流通経済大学経済学部助教授、1969年教授。
1974年、流通経済大学学長に就任。2001年3月まで、9期27年務める。
2005年からは学校法人国士館の理事長を務めた。
2016年2月3日、88歳にて逝去。
第二次世界大戦終了後の一時期、柔道・剣道等の武道は、GHQにより、戦前の日本の軍国主義台頭を招いた一因と見做された。これにより、武道自体の禁止,武道に関する団体の解散命令が出され、戦前より活動していた各大学の柔道部も解散を余儀なくされる。後に、GHQより「スポーツとしての武道」と言う新方針が打ち出され、日本政府もこの方針による武道の解禁,武道に関する団体の活動を容認する事となる。これを受けて、法政大学でも柔道部を復活させる事となり、法学部在学中はその中心的役割を果たす。学部卒業後は大学院に進学し、民法を研究。大学院修了後、母校で講師として教壇に立ちつつ、法政大学の柔道部監督を務め、戦後の早い時期から学生柔道界の発展を牽引した。また、全日本学生柔道連盟理事長、全日本柔道連盟でも常任理事等の要職を務め、世界学生柔道選手権大会の日本選手団長も歴任した。[3]中国・台湾との柔道を通じた国際交流に熱心に取り組み、中華人民共和国の国際柔道連盟加盟にも尽力した。2020年、その功績を称えるため、流通経済大学龍ケ崎キャンパス内に、武道場、「佐伯記念武道館」が建設されている。[4]
など
※物流の学術的研究や国際交流活動の功績による。
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