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日本の地方政治家 (1918-1992) ウィキペディアから
伊藤 孝次郎 (いとう こうじろう、1918年(大正7年)11月12日[1] - 1992年(平成4年)5月10日[1])は、日本の地方政治家。東久留米市長を務めた。
山形県出身[2]。早稲田大学専門部政経科に通い(1940年卒業)[2]、1939年中外商業新報記者となる[2]。翌年青島興亜新報支局長兼論説委員となる[2]。戦後、東京タイムズに入り、社会部次長を経て、総理府公職訴願審査委員会事務局に勤める[2]。その後、東京都久留米町議会(現・東久留米市議会)議員に当選[2]。市制施行後に副議長に就任した[2]。
1978年10月10日、東久留米市長の石塚政寿が汚職事件の責任をとり辞職。石塚の辞職に伴い11月26日に行われた市長選に社会党・共産党の推薦を得て立候補。自民党の支持を得た米田正ら2候補を破り初当選した[3]。元日本社会党総支部長で、「明るい革新東久留米をつくる会」という団体を掲げ、革新市政をもたらした。
1981年12月24日、汚職事件のため、辞職した。
1992年死去。73歳没。
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