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愛知県刈谷市にある町 ウィキペディアから
刈谷市の北部の町、旧・富士松村の中心地に位置する。東は今岡町、西は泉田町、南は一ツ木町・築地町、北は西境町・豊明市阿野町に接する。かつてはお富士の松が植わっていた。
面積約15,000m2の農業用ため池である花池は、蓮の花で知られる。蓮の花は毎年通常7月末ごろから咲き始め、9月上旬まで咲いている。2007年(平成19年)から急に蓮の花が咲かなくなり、葉も見せなくなり、連作障害・病気・ミドリガメによる被害などが指摘されたが、2009年(平成21年)には再び開花するようになった[6]。
2019年(令和元年)6月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[3]。
国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 4,293人 | [7] | |
2000年(平成12年) | 4,246人 | [8] | |
2005年(平成17年) | 4,322人 | [9] | |
2010年(平成22年) | 4,516人 | [10] | |
2015年(平成27年) | 4,708人 | [11] |
いも川(芋川)が転訛して今川という地名になったとされている[1]。 江戸時代は、東海道の間の宿として賑わい、碧海郡今川村として存在していた。それ以前は現在隣接する泉田町(泉田村)の一角に位置していたが、東海道開通に伴い同町が賑わい独立し、現在の姿となっている。1878年(明治11年)に逢見村の一部となった[1]。
1971年度(昭和46年度)から1993年度(平成5年度)まで、衣浦東部都市計画事業刈谷富士松土地区画整理事業が実施された[12]。施行面積は18.6ha、権利者数は276人(事業認可当初)、総事業費は27億2500万円。
郡 | 明治1年-明治21年 | 明治22年 | 明治23年-明治45年 | 大正1年-大正15年 | 昭和1年-昭和64年 | 平成1年-現在 | ||
碧海郡 | 泉田村 | 明治11年合併 逢見村 | 逢見村 | 逢見村 | 明治39年合併 富士松村 | 富士松村 | 昭和30年合併 刈谷市 | 刈谷市 |
今岡村 | ||||||||
今川村 | ||||||||
一ツ木村 | 一ツ木村 | 一ツ木村 | 一ツ木村 | |||||
築地村 | 築地村 | |||||||
井ヶ谷村 | 井ヶ谷村 | 境村 | 境村 | |||||
西境村 | 西境村 | |||||||
東境村 | 東境村 | 明治24年分村 東境村 |
江戸時代、東海道の芋川に立場(休憩所)があり、平打ちのうどんが名物であった。その芋川うどんが西に伝わってきしめんと、東に伝わってひもかわと呼ばれるようになったとされる[18]。この「芋川」の位置は現在の今川町にあたる説が有力であるが、同町のほか、隣の今岡町や一里山町ではないか、とする研究者もいる[19]。
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[20]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[21]。
町丁・丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|---|
今川町 | 全域 | 刈谷市立富士松南小学校 | 刈谷市立富士松中学校 | 尾張学区 |
今川町1丁目 | 全域 | |||
今川町2丁目 | 全域 | |||
今川町3丁目 | 全域 | |||
今川町4丁目 | 全域 |
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