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京都市伏見区醍醐にあった京都市営バスの営業所 ウィキペディアから
京都市営バス醍醐営業所(きょうとしえいバスだいごえいぎょうしょ)は、京都市伏見区醍醐にかつて存在していた、京都市営バスの営業所である。醍醐、山科地区を運行する路線を担当していた。京都市営地下鉄東西線の開業のため、同地区先行開業の京阪バスに対し重複路線営業していた同営業所の管轄路線を廃止した。また同営業所も廃止された。ただし、同時に京阪バスも同地区において路線体系の見直しを行い、同営業所の路線体系と酷似する路線体系と京阪バス独自の路線体系の統合・併用型路線へ変更した。なお、跡地はマンション(DELPA醍醐)となっている。開設時から1983年の移転前まで使用していた土地は、京都市醍醐西市営住宅となっている。
沿革
1997年10月11日に京都市営地下鉄東西線開業に伴い特80号系統を廃止した。なお80号系統は四条河原町 - 京都外大前に改め、梅津営業所に移管した。
沿革
概要
醍醐地区から山科区西部を経由して四条河原町を結ぶ系統は東1号、東2号、東3号、東4号、東5号の5系統があった。東1号系統は、勧修寺、西野山団地を経由する系統であり、唯一醍醐車庫前ではなく小栗栖団地前発着であった。操車は醍醐営業所で直接行なっていたため、醍醐営業所 - 小栗栖団地前間は常に回送運転していた(醍醐営業所より回送された車両は、小栗栖団地前(着側バス停)に設けられた回転場にて回転のうえ対向車線側にある小栗栖団地前(発側バス停)より出発した。醍醐営業所への回送も同様に行った)。
沿革
概要
醍醐地区から山科区西部を経由して四条河原町を結ぶ系統は東1号、東2号、東3号、東4号、東5号の5系統があった。東2号系統は、蚊ヶ瀬、西野山団地を経由する系統であり、唯一四条河原町ではなく四条烏丸発着であった。 東2号系統は、他の東ブロック系統に比べて、比較的終バスが遅かった。 特東2号系統は、醍醐新町バス停付近にある京都府立東稜高等学校への通学路線として朝に特東2A号系統(醍醐車庫前 - (東2号系統) - 四条烏丸 - (特東2号系統) - 醍醐車庫前)、夕に特東2B号系統(醍醐車庫前 - (特東2号系統) - 四条烏丸 - (東2号系統) - 醍醐車庫前)の1本ずつが存在していた。
沿革
概要
醍醐地区から山科区西部を経由して四条河原町を結ぶ系統は東1号、東2号、東3号、東4号、東5号の5系統があった。東3号系統は、小栗栖、蚊ヶ瀬、西野山団地を経由する系統であった。
沿革
概要
醍醐地区から山科区西部を経由して四条河原町を結ぶ系統は東1号、東2号、東3号、東4号、東5号の5系統があった。東4号系統は、蚊ヶ瀬、折上神社前を経由する系統であった。 特東2号系統は、醍醐新町バス停付近にある京都府立東稜高等学校への通学路線として朝に特東4A号系統(醍醐車庫前 - (東4号系統) - 四条河原町 - (特東4号系統) - 醍醐車庫前)、夕に特東4B号系統(醍醐車庫前 - (特東4号系統) - 四条河原町 - (東4号系統) - 醍醐車庫前)の1本ずつが存在していた。特東4号系統はこのように本数が少なかったため路線図には載らない系統だった。
沿革
概要
醍醐地区から山科区西部を経由して四条河原町を結ぶ系統は東1号、東2号、東3号、東4号、東5号の5系統があった。東5号系統は、蚊ヶ瀬、折上神社前を経由する系統であった。
沿革
概要
当系統は、醍醐地区から山科区西部を経由して三条京阪を結ぶ路線であった。狭隘区間が多かったため、晩年は中型車を使用していた。 1983年まで、醍醐車庫前 - 上花山間を外環状線経由で結ぶ特東6号系統が設定されていた。
沿革(東7号系統含む)
概要
当系統は、醍醐地区東部から外環状線を経由して四条河原町を結ぶ路線であった。類似系統として、醍醐車庫から直接外環状線を経由する東7号系統が存在していたが、1988年6月に廃止となった。
沿革
概要 当系統は、醍醐地区東部から山科区東部を経由して、四条河原町、三条京阪を結ぶ路線であった。東9甲号系統のみ、石田ではなく醍醐西大路を経由していた。当系統は、京都市営バスで最長距離の路線であったことがある。
1983年まで、特東9号系統が設定されていた。竹鼻 - 山科間を走る唯一の系統であった。午前に特東9乙号系統が1本、午後に特東9甲号系統が1本運転されていた。また、特東9号系統は三条京阪前で東9号系統との連結運転を実施していた。
沿革(東10号系統含む)
概要
当系統は、醍醐地区から山科区音羽地区を経由して、四条河原町、四条烏丸を結ぶ路線であった。当初は三条京阪前・若松町発着(若松町 - 三条京阪前 - 河原町五条 - 国道大塚 - 小山)であったが、東山操車場が廃止となった1989年7月以降、四条烏丸発着(四条烏丸 - 四条河原町 - 河原町五条 - 国道大塚 - 小山)となった。 1990年5月に入出庫を兼ねて醍醐車庫前まで延伸した特東10号系統が誕生した。1996年3月にすべての便が醍醐車庫前発着となり、すべてが特東10号系統(つまり、東10号系統は廃止)となった。 狭隘区間が多かったため、東10号系統・特東10号系統とも、晩年は中型車を使用していた。
沿革(56号系統を含む)
当系統は、醍醐地区から伏見区桃山地区を経由して、竹田駅を結ぶ路線であった。当初は醍醐地区から桃山地区を経由して京都駅(1981年5月以前は四条烏丸)を結んでいて56号系統と称していたが、地下鉄烏丸線が京都駅 - 竹田駅が開業した1988年6月以降、竹田駅東口発着に経路が短縮となり、現在の系統番号となった。
狭隘区間が多かったため、晩年は中型車を使用していた。
なお、2024年のダイヤ改正で横大路営業所の臨南5号系統が南6号系統へと系統番号が変更されたため久々の復活となった。
沿革
この系統は南6号系統が桃山地区を経由するのに対し、京都市でも相当人口密度が少ない大岩街道・勧修寺地区を経由するという相違点があった。
醍醐営業所の車両は、日野自動車製のものが配置されていた。大型車の他、中型車も配置されており、主に東6号系統、東10号系統、南6号系統、南7号系統で使用していた。
大型車は、1984年製までは標準床車が使用されていたが、1986年製以降は他営業所と同じく低床車が配置された。
醍醐営業所の廃止後、大型車は西賀茂営業所・梅津営業所・烏丸営業所錦林支所、中型車は西賀茂営業所・洛西営業所に転属となった。中型車のうち一部は、車齢が10年未満であるにもかかわらず、廃車となった。
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