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日本のシンガーソングライター (1960-) ウィキペディアから
二井原 実(にいはら みのる、1960年3月12日 - )は、日本の歌手、ヘヴィメタルバンド・LOUDNESS[1]、及びX.Y.Z.→Aのボーカリスト。 大阪府大阪市住吉区出身。
ニックネームは、ニィちゃん、ニィやん、みの吉、(主に海外の関係者やファンから)ミック、ミッキー、等。
二井原 実 | |
---|---|
基本情報 | |
出生名 | 二井原 実(にいはら みのる) |
生誕 | 1960年3月12日(64歳) |
出身地 | 日本・大阪府大阪市住吉区 |
学歴 |
上宮高等学校卒業 佛教大学社会学部社会学科除籍 |
ジャンル | ヘヴィメタル・ハードロック・R&B |
職業 | 歌手・男性作曲家 |
担当楽器 | ボーカル、ギター |
活動期間 | 1981年 - 現在 |
レーベル |
ワードレコーズ(LOUDNESS) SPACE SHOWER MUSIC (X.Y.Z.→A) |
事務所 |
カタナミュージック(LOUDNESS) ブラスティ(X.Y.Z.→A) |
共同作業者 |
LOUDNESS デッド・チャップリン SLY X.Y.Z.→A 西寺実 |
公式サイト | Minoru Niihara The Official Website |
1960年(昭和35年)3月12日、大阪府大阪市住吉区南住吉生まれ。家族構成は、父、母、姉、弟。弟はドラマーの二井原教仁(にいはらのりよし)である。二井原実は幼少時に小児ぜんそくを患っている。性格は内向的でおとなしく、いつも母親の後を付いて回るような気弱な子どもであった[2]。しかし、小学3年生に進級した頃より剣道を習い始めた[3]。持病は回復に向かい、徐々に明るくなり陽気さを発揮し始めた。
中学校に入学すると、家族やクラスメイトの影響からスリーピー・ジョン・エスティスやステファン・グロスマンといったブルースやビートルズに興味を持つ。そんな折、友人から「バンドやろうや。おまえ(二井原)はポール・マッカートニーな(ベース担当の意)」と半ば強引にバンドに誘われる。祖母に頼み込んでエレクトリックベースを買ってもらったことで弾みがつき、その後の音楽人生の起点となった。
1975年、上宮高校に入学。軽音楽クラブに入り、そこで知り合った同級生の石原愼一郎らと共にハードロックバンド、「EARTHSHAKER(アースシェイカー)」を結成。
当初はベーシストとして参加したが、ボーカルが1年ほどで脱退した為、ボーカル兼任となった。それでも本人はベースを弾くことに重きを置いていたが、周りの反応はナチュラルキーの高さやレンジの広さ等を指摘するもので、少しずつ自分の特異性を気付かされるものだった。
ヤマハ楽器主催のアマチュアバンドコンテスト「バンド合戦」に出場した際、審査委員であったソー・バット・レビューの石田長生からは、「珍しい声」「おもろい声」と評価された[4]。こうして、次第に本格的なボーカリストを目指すようになった。同コンテストで優勝し、アースシェイカーは知名度を上げ、当時関西で人気絶頂であったアマチュアバンド「山水館」や「シェラザード」(共に「NOVELA(ノヴェラ)」の前身)などのイベントの前座に起用された。
しかし、バンドの勢いと逆行するように、大学進学を境にして、二井原自身の趣向はハードロックよりもリズム・アンド・ブルースやソウル・ミュージックへと原点回帰し、大学2年時の1979年には「ハードロックはもうやらない」とアースシェイカーから脱退。並行して在籍していた京都のR&Bバンド「Soul-Doo-Out」の活動に精力を傾注することで、ハードロック・ボーカリストからソウル・シンガーとなった。
この時期にムード歌謡グループ「ニック・ニューサ」のヒット曲「サチコ」のレコーディングにコーラスとして参加している。「ハードロックはやらない」発言の裏には、プロ志向が強かった石原に対して、当時はまだ自身の力量に自信をもてずにいた二井原が、プロを目指すことに二の足を踏んでいた[5]胸中があったものの旨く伝わらなかったため、意図のすれ違いが生じたまま二人はしばらくの間絶縁状態となる[6]。
佛教大学軽音楽部では同級生の藤村幸宏(Chachamaru)らとファンクバンド「青春会」を結成した。この時期、京都の有名なファンクソウルバンドとして「ITACHI(「TOPS」の前身)」等と活動した。
レイジーのギタリスト・高崎晃が、自身のソロアルバム制作のため「世界に通用するような強力なボーカル」を探していた。アースシェイカー時代の二井原の歌声を聴いた高崎からオーディションへの参加依頼を打診された[7]。1980年(大学3年時)の秋だった。
この時、高崎にアースシェイカーのライブテープを送り熱心に二井原を推薦していたのが、後にベーシストとしてラウドネスで盟友となる山下昌良であった[5]。オーディションに合格、翌年1981年3月、高崎とドラマーの樋口宗孝の薦めにより、大学を一時休学して上京した。「移動手段は格安の深夜の高速バスで、所持金は5000円札1枚のみ」だった[8])。大学はのちに除籍となった。
高崎と樋口にはまだレイジーとしての活動があった。「高崎のソロ・プロジェクトをバンド形態にする」こと以外、マネージメント・オフィス、レコード会社、バンド名も未定。二井原加入直後の数ヶ月間は完全に白紙。上京後の数ヶ月は樋口のマンションで共同生活をしていた。
同年、5月末にレイジーが解散。8月には三重県鈴鹿市のチェスナットスタジオで、デビューアルバムのレコーディングを開始。バンド名も「LOUDNESS(ラウドネス)」に決定した[9]。11月25日、日本コロムビアより、メジャー・デビューした。
1987年、12月、自身初となる著書、「ロックン・ロール・ジプシー~ぼくはロックで世界を見た~」発表。
1988年、12月、ラウドネスを脱退。当初「目指す音楽の方向性の違いから自発的に脱退」と各メディアで報じられ、ファンや関係者に衝撃を与えた。後年に「実際には自主的な脱退ではなく、一方的な解雇であった」と二井原自身が語った[10]。
翌1989年早々に「当面はソロのシンガーとして活動する」[要出典]と、表明[11]。6月にファーストアルバム「ONE」をリリースし、中間英明、宮脇知史、藤村幸宏らを従えてツアーを開始。
1990年、藤村幸宏(G)、永井敏己(B)、菅沼孝三(Dr)と言ったテクニカル・プレイヤーらと共に「DED CHAPLIN(デッド・チャップリン)」を結成し活動。
1994年、石原愼一郎(G)、寺沢功一(B)、樋口宗孝(Dr)と共に「SLY(スライ)」を結成し活動。
1999年、SLYの活動が休止したのを機に、当時傾倒していたヒーリングミュージックへの移行を考えていたが、この相談を受けたファンキー末吉が猛反発。末吉から「誰もおまえのそんな(ヒーリングミュージックを歌う)姿なんて望んでない」「ロックの世界に引き戻す」と強く説得され[12]、ファンキー末吉(Dr)、橘高文彦(G)、和佐田達彦(B)と共に「X.Y.Z.→A(エックス・ワイ・ズィー・トゥ・エー)を結成し活動した。このバンドの結成当初のバンド名は「X.Y.Z.」であった。
2000年、ラウドネスがオリジナルメンバーでの活動を行うことになり、それに伴い復帰。
2006年、17年ぶりのソロアルバム『Ashes to Glory』をリリース。全盲でありながらもテクニカルギタリストとして知名度を上げている田川ヒロアキがプロデュース兼ギタリストとして参加。
2007年、12月、18年ぶりとなるソロライヴ『Rock'n Roll GYPSY TOUR 07』東名阪ツアーを決行。サポートメンバーは、「夜叉」の福島克彦(G)、田川ヒロアキ(G,Key)、田中丸善威(B)、加藤剛志(Dr)。
2008年、同年5月9日 - 10日に行われた、ソロライヴ時の音源を収録した2枚組みCD『MINORU NIIHARA LIVE!"R&R GYPSY SHOW"@KAGURAZAKA DIMENSION』をリリース。同時期に、SHOW-YAの寺田恵子、アースシェイカーで二井原の後任ボーカリストの西田昌史と「西寺実」を結成した。
2011年、二井原とブラスロックバンド「BLUFF」のリーダーで音楽プロデューサーの松木隆裕が中心となって、米国のファンクバンド「Tower Of Power」の楽曲を中心に、James Brown、Otis Redding等、ソウルミュージックのカバーライブを行った際の音源を東日本大震災のチャリティーとしてリリース。メンバーには元スペクトラムやカシオペアのメンバーの他、トップスタジオミュージシャンが多数参加し、その後も「SOUL CRAZY NIGHT」名義で定期的にライブを行っている。
2014年、11月、イヤーモニターの世界最大手「WESTONE」社の公認アーティスト[13]として、日本人で初めて選出される[14][15]。
2014年から、「二井原実 歌うたい祭り」の名義でカバー曲を中心としたライブを行っている。メンバーは、はんだすなお(Pf)、仮谷克之(B)、高インボム(Dr)。
2018年3月、31年ぶり、自身2冊目となる著書、「二井原実 自伝 真我Singer」発表。
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