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中国江西省の地級市 ウィキペディアから
九江市(きゅうこうし)は、中華人民共和国江西省北部に位置する地級市。市区部は長江(揚子江)沿岸の重要港湾都市となっている。
中華人民共和国 江西省 九江市 | |
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廬山 | |
江西省中の九江市の位置 | |
簡体字 | 九江 |
繁体字 | 九江 |
拼音 | Jiŭjiāng |
カタカナ転写 | ジュージャン |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 江西 |
行政級別 | 地級市 |
市委書記 | |
市長 | 楊文斌 |
面積 | |
総面積 | 18,887 km² |
市区 | 89.47 km² |
人口 | |
総人口(2010) | 472.9 万人 |
市区人口(2010) | 64.2 万人 |
経済 | |
GDP(2011) | 1,256.41元 |
一人あたりGDP | 26,570元 |
電話番号 | 0792 |
郵便番号 | 332000 |
ナンバープレート | 贛G |
行政区画代碼 | 360400 |
市樹 | クスノキ |
市花 | 蓮の花 |
公式ウェブサイト: http://www.jiujiang.gov.cn/ |
北に長江を臨み、南に名山・廬山(世界遺産)が聳える。市名の由来は『書経・禹貢』に「九江孔殷」と見え、長江がこの付近で諸川を集め水勢を強めることをいう。湖北、安徽、江西三省が交界し、兵家必争の地でもある。
春秋時代は呉楚の地であり、戦国時代には楚国に属した。秦代に九江郡が設置され、前漢初には一時、淮南国が置かれたが、間もなく九江郡に復し、柴桑・彭澤二県が設置された。以後は江州と呼ばれたり、九江郡となったりしたが、元代に江西行省江州路が設置され、明初に江西布政使司隷下の九江府、清代には江西省九江府となった。清末には太平天国の支配下に入ったこともあった。
民国時代の1917年に九江市が成立したが、1936年に中国国民党政府によって九江県と改められ、1949年5月7日人民解放軍入城、中国共産党政権下で7月19日九江市人民政府(市区のみ)が成立、文化大革命期の革命委員会を経て1980年省直轄市となり、1983年市が県を管理する「区級市」に昇格した。
1998年には長江の洪水により大水害に見舞われた。
3市轄区・3県級市・7県を管轄する。
2011年の国内総生産額は対前年比13.2%増の1,256.41億人民元、一人当たり生産額は26,570元、市政府財政収入は161.81億元であった。
九江は清朝末期の1858年の天津条約で長江沿岸の対外通商港(条約港)に指定され、1861年にはイギリス租界も形成された。民国期の1913年には日本の台湾銀行九江分行も設置された。租界は1927年に返還され、中華民国外交部直轄の「九江特別区」が設置されるが、1930年に廃止となっている。日中戦争中は日本軍の占領下に置かれた。新中国の成立により対外関係は断絶したが、1992年沿江対外開放都市に指定され、外国投資を集めて工業都市として発展している。
友好都市としてはオーストラリアのバウバウ郡 (en:Shire of Baw Baw) 、スロベニアのコペール市、日本岡山県玉野市と提携している[3]。
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