久長村(ひさながそん)は、鳥取県八上郡にあった自治体である。
概要
現在の鳥取市河原町河原・河原町渡一木(わたりひとつぎ)・河原町谷一木(たにひとつぎ)・河原町長瀬、および河原町鮎ヶ丘(元は長瀬の小字であった[2])に相当する。千代川と支流の八東川合流付近に位置した。
藩政時代には鳥取藩領の八上郡岩田下庄(いわたしものしょう)に属する河原村・渡一木村・谷一木村・長瀬村があった[3]。
隣接する三保村とは共同で組合役場を設置していたが、人情的に差異なく2村のままでは後来の利益にならないとの理由から、村発足から約4年で合併した[4]。
沿革
- 享和3年(1803年) - 谷一木村から枝郷の河原村を分村[5]。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 島根県の管轄になる。
- 1880年(明治13年)12月 - 八上智頭八東郡役所を河原村に設置[6]。
- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 連合戸長役場を河原村に設置。
- 1886年(明治19年)12月27日 - 郡役所位置を郡家村(後の賀茂村大字郡家)に変更[6][7]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、河原村・渡一木村・谷一木村・長瀬村が合併して村制施行し、八上郡久長村が発足。旧村名を継承した4大字を編成。三保村との組合役場を河原村に設置[3][8]。
- 1893年(明治26年)12月1日 - 三保村と合併して河原村が発足。同日久長村廃止[3]。
行政
戸長
組合役場
組合役場庁舎は八上智頭八東郡役所の一隅を借りて年間12円の借用料を支払っていたが、1892年(明治25年)に役場を新築した[1]。
組合村長
氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
川辺清六 | 1889年(明治22年)12月 | 1893年(明治26年)11月30日 | 合併後、河原村長に就任 |
参考文献 - [3] |
脚注
関連項目
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