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中谷 千代子(なかたに ちよこ、1930年1月16日[1] - 1981年12月26日[2])は、日本の画家、絵本作家。
1930年1月16日、東京府生まれ。東京府立第十一高等女学校(現東京都立桜町高等学校)卒業後[3]、東京美術学校(現・東京芸術大学)油絵科[2]に進学。美術学校在学中は梅原龍三郎に師事した[4]。後に詩人として活躍する岸田衿子は同級生で、親友となった[1]。美術学校卒業後、先輩だった中谷貞彦と結婚[5]。
在学中から子どもに絵を教える中で、子どもの絵の表現から学んでいた[5]が、1957年ごろから絵本の仕事に興味を持つ[6]。岸田に誘われて、福音館書店の編集長松居直を訪ね、絵本を作ることになる[1][5]。
最初の作品は『ジオジオのかんむり』(「こどものとも」52号(1960年7月号))で、主人公のライオンのジオジオを描くために動物園でイメージに合うライオンを探し、原画は7回描きなおした[7]。ペン画に油絵具を使用している[7]。
1962年の『かばくん』(「こどものとも」78号(1962年9月号))は、動物園のカバの一日を描いた作品である。岸田がレコード用に書いていた動物の歌の中にカバの詩があり、松居の後押しでカバに決まった[7]。 1963年に1年間、夫と滞仏し[8]、絵本を研究する。
その後も絵本を発表。自ら文章を書いた絵本としては『たろうといるか』(1969年)や甥を主人公にした「けんちゃんえほん」シリーズなどがあり、絵と共訳を担当した作品に『ラオのぼうけん』(ルネ・ギヨ文)(1971年)がある[8]。また、1970年代には松谷みよ子の「ちいさいモモちゃん」シリーズのモモちゃん絵本(初版)の絵を担当した。
1981年4月から体調を崩し入院[9]、12月26日死去した。51歳没。
「かばくんのふね」で第14回(1965年)小学館絵画賞、「まちのねずみといなかのねずみ」で第1回(1970年)講談社出版文化賞絵本賞[10]、「かえってきたきつね」(岸田衿子文)で第21回(1974年)産経児童出版文化賞大賞などを受賞。
『かばくん』は、日本国外でも好評で、日本の創作作品の翻訳出版の先駆となった[11]。
フランスの絵本編集者ペール・カストールことポール・フォシェにより、『かばくん』のフランス語版が1965年[12]にカストール文庫に収録された[4]。 スイスの絵本研究家で編集者であるベッティーナ・ヒューリーマンは1961年の来日の際に『ジオジオのかんむり』に出会い、『かばくん』を始めとして中谷の作品を刊行、交流を深めた[11]。
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