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中桐 雅夫(なかぎり まさお、1919年10月11日 - 1983年8月11日)は、日本の詩人、翻訳家。
本名は白神 鉱一(しらかみ こういち)。
福岡県生まれ。1939年、英作文と教練の出席時間不足により兵庫県立神戸高等商業学校で進級不可能となり、同校中退後、父の預金通帳を盗み出して金を下ろし、家出して上京。徴兵逃れで日本大学芸術学科に途中入学し卒業。読売新聞の政治部記者として働く。詩誌『Le Bal』を主催し、田村隆一と知りあう。戦後、田村、鮎川信夫、黒田三郎と『荒地』を設立。のちに詩誌『歴程』にも参加。ミステリーやSFを翻訳しつつ、英国モダニズム詩人、特にW・H・オーデンを翻訳、詩作を行い、大学でも英文学の教員として活動した。
1980年、代表詩集『会社の人事』にて第18回藤村記念歴程賞受賞。同書で「生きざま」というのは本来「死にざま」から出たもので嫌いな言葉だと言い、「自死」という言葉の言い換えに不快感を表明している(「ことばの言い換え」に、「彼の死は、自殺ではなく自死だという人もあるが、/死はいくら言い換えても死だ、/言い換えに浮き身をやつすのは、/中味の薄さをごまかすためにすぎぬ。/ことばは時とともに変わる、しかし忘れるな、/変える必要がないものは変えないことが必要だ。」とある)。
1983年8月11日昼過ぎ、妻子によって自宅の書斎で死亡しているところを発見された。63歳没。新聞で死去が報じられた際には、死因が急性心不全とされていたが、未亡人・文子による回想『美酒すこし』で、実際の死因がアルコール依存症による肝臓障害だったことが明言されている。遺言に従い、通夜・葬儀は行われなかった。
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