Loading AI tools
ウィキペディアから
兵庫県立神戸高等商業学校(ひょうごけんりつ こうべこうとうしょうぎょうがっこう)は、1929年(昭和4年)に設立された旧制専門学校。略称は (県立)神戸高商。同年に神戸商業大学に昇格した官立の神戸高等商業学校とは別の学校である。
1919年(大正8年)頃から官立神戸高商で大学への昇格運動が起こり、1923年(大正12年)3月には帝国議会で神戸高商を含む 5校の大学昇格案が可決された(当時は 1927年昇格予定)。ただし、旧制高等学校出身者の進学先を増設するのが主目的だったため、神戸に設置される商科大学には、東京商科大学のような大学予科・専門部を附置しないことになった。これは、中等学校(中学校・実業学校)からの進学先が失われることを意味した。
そのため、地元神戸市の県立神戸商業学校(略称:県商。現・兵庫県立神戸商業高等学校)で、1922年(大正11年)頃から高等商業学校への昇格運動が起こった(同校は1878年(明治11年)に神戸商業講習所として開校した古い歴史を持ち、明治期の卒業生が運動を牽引した)。しかし、1923年(大正12年)9月に関東大震災が発生したために官立神戸高商の商大昇格は凍結となり、県商の高商昇格運動も頓挫してしまった。
官立神戸高商は1929年(昭和4年)4月に商業大学に昇格することになり、兵庫県はいよいよ県立高商を設立する必要に迫られた。県商を高商に昇格させるには、現在の県商を形式上廃止した上で新設高商に附置する手続きが必要となるが、むしろ県商を存続させ、別個に高商を新設する方が手続きが簡便であった。県は、県商同窓会をそう説得して、同窓会が高商昇格運動で集めていた寄付金を高商新設費用の一部に充当した。また、垂水の高商校地の隣接地(現在の星陵高校校地。詳細は星陵高校を参照)に県商を移転させ、地理的には併置のような形を取ることにした。
1929年当時、本校舎はまだ存在しておらず、県立神戸高商は "母体" ともいえる県立第一神戸商業学校(県商)の校舎に間借りする形で出発した(青谷校舎。現・神戸海星女子学院大学の所在地)。狭隘なため、1930年7月に関西学院中学部の元校舎に移転した(原田校舎。現・神戸文学館の一帯)。
校地として選定された明石郡垂水町高丸陸(たかまるくが、現・神戸市垂水区星陵台)の土地は、元々官立神戸商業大学が移転先候補の一つとしていた場所であった(高丸校舎)。1931年4月、新築の高丸校舎に移転。翌 1932年には、県商も隣接地に移転した。第二次世界大戦末期の1945年1月、経専高丸校舎・県商校舎は海軍経理学校に明け渡され、経専は神戸経済大学本館(灘区)に、県商は若松国民学校(長田区)に移転した。同年9月、終戦とともに高丸校舎に復帰した。後身校である新制神戸商科大学は高丸校舎で発足し、旧制経専は同地で終焉の日を迎えた。
神戸商科大学は 1990年(平成2年)4月に神戸研究学園都市に移転した(神戸市西区、現 兵庫県立大学神戸学園都市キャンパス)。旧高丸校舎と垂水駅とを結ぶ通りは、現在も 「商大筋」 と呼ばれ続けている。旧高丸校舎は、南隣の兵庫県立星陵高等学校(一時期 県商と合併。戦前の県商校舎を使用)が校舎建て替えの間、仮校舎として使用していたが、その後取り壊され、現在跡地はマンション(ビスタグランデ神戸星陵台)となっている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.