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水澤 心吾(みさわ しんご、1950年2月17日 - )は、日本の俳優、心理トレーナー。旧芸名、三沢 慎吾(読み同じ)。本名、永谷 吉美[1]。
19歳の時に歌手を目指して上京の後、役者に転向[2]。1974年に「劇団俳少」に入団し舞台に立つ。1977年、舞台『天守物語』で坂東玉三郎の相手役に抜擢され本格的に俳優としての道を歩む。1978年にはNHK連続テレビ小説『わたしは海』に出演、ヒロインの恋人役を演じる。以降はNHK大河ドラマなどテレビドラマや映画、舞台に出演。また、現在[いつ?]はセラピストとしても活動。
1990年に三沢 慎吾から水澤 心吾へと改名。
36歳で離婚。40歳の時に自身が出演したテレビドラマを見て自らの演技に疑問を抱き、俳優活動を休業。アメリカ・ハワイにて10年間にわたりビジョン心理学を学びつつ、心理トレーナーとして演技メソッドと心理学を融合させた独自のセミナーを主宰する[3][4]。
2001年にオーストラリアのテレビドラマシリーズ『チャンギ捕虜収容所(英語: Changi (miniseries))』に出演するなど、俳優として活動を再開。3年後の2004年頃より舞台にも復帰する[5]。
テレビ番組で存在を知った「日本のシンドラー」こと外交官・杉原千畝に感銘を受け、その生涯の舞台化を決意。2001年頃より脚本を執筆開始し、一人芝居『決断 命のビザ〜SEMPO杉原千畝物語〜』として2007年に初演。以来、貯金を切り崩しつつ自主公演を重ね、全国各地にてロングラン公演を続けている。2008年にはアメリカ・ロサンゼルス、2016年にはリトアニアの首都ビリニュスおよび物語の舞台となったカウナスでの海外公演も実現した。上演回数は2016年時点で240回あまりを数え、1000公演の達成を目標としている[2][5][6][7]。
クリスチャンだった杉原千畝の影響を受け、自らも受洗。三浦綾子の小説『塩狩峠』を三堀峰吉の物語として構成し、朗読劇『塩狩峠 三堀峰吉物語』として上演している[5]。
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