リック・ハリス

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リック・ハリス

リック・ハリスRichard "Rick" Harris1948年1月30日[1]または1955年1月30日[2] - 2025年1月9日)は、アメリカ合衆国の元プロレスラーアーカンソー州テクサーカナ生まれ[1]ノースカロライナ州ファイエットビル出身[3]

概要 ブラック・バート, プロフィール ...
ブラック・バート
Thumb
ブラック・バートことリック・ハリス
プロフィール
リングネーム ブラック・バート
ビッグ・トレイン・バート
リック・ハリス
ハングマン・ハリス
マン・マウンテン・ハリス
ザ・ワイルドマン
本名 リチャード・ハリス
ニックネーム 野獣牧童
身長 185cm - 187cm
体重 125kg - 130kg
誕生日 (1948-01-30) 1948年1月30日(または (1955-01-30) 1955年1月30日 アメリカ合衆国 アーカンソー州テクサーカナ
死亡日 (2025-01-09) 2025年1月9日(76歳没)(または69歳没)
出身地 アメリカ合衆国 ノースカロライナ州ファイエットビル
デビュー 1975年
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ブラック・バートBlack Bart)のリングネームで知られ、テキサスフロリダなどのアメリカ南部を主戦場に、ヒールのポジションで活動した[2]

来歴

要約
視点

デビュー後は地元のノースカロライナを本拠地とするジム・クロケット・ジュニア主宰のミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングにおいて、リック・ハリスRick Harris)の名義で活動。前座試合でエイブ・ジェイコブズジョニー・ウィーバーなどベテランの試合巧者と対戦してキャリアを積み[4]1981年6月13日にはスウィート・エボニー・ダイヤモンドが保持していたNWAミッドアトランティックTV王座に挑戦した[5]

その後はジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに参戦。1982年2月28日にアトランタで行われたワンナイト・タッグ・トーナメントにはモンゴリアン・ストンパーと組んで出場したが、アメリカ遠征中だったジャンボ鶴田&天龍源一郎に1回戦で敗退した[6]。翌1983年6月27日、ロン・フラー主宰のサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングにて、リッキー・ギブソンからNWAアラバマ・ヘビー級王座を奪取[7]。同年8月には全日本プロレスに初来日している[8]

1984年フロリダにてダスティ・ローデスのアイデアにより、西部開拓時代に実在したアウトローと同名のブラック・バートBlack Bart)にリングネームを変更。ロン・バスのパートナーとなってカウボーイタッグチームロング・ライダーズThe Long Riders)を結成し、バリー・ウインダム&マイク・ロトンドを相手にUSタッグ王座を巡る抗争を展開した[9]、シングルでは同年1月にブラックジャック・マリガンからブラスナックル王座を奪取[10]。5月17日にはケリー・フォン・エリックが保持していたNWA世界ヘビー級王座に挑戦した[11]

1984年8月からはバスとのロング・ライダーズとして、マネージャーJ・J・ディロンと共に古巣のミッドアトランティック地区に参戦。NWAミッドアトランティック・タッグ王座の最後のチャンピオン・チームとなり[12]、シングルでもマニー・フェルナンデスらとタイトルを争ったが、1985年下期にバスと仲間割れ。11月28日開催の『スターケード』ではフェイスターンしたバスとのブルロープ・デスマッチが行われた[13]。ロング・ライダーズ解散後はシングルプレイヤーとなり、1986年3月18日にサム・ヒューストンからNWAミッドアトランティック・ヘビー級王座を奪取、9月2日にロニー・ガービンに敗れるまで戴冠した[14]

その後はテキサス州ダラスのWCCW(WCWA)に参戦、1986年9月15日にクリス・アダムスを破りWCWA世界ヘビー級王座を獲得[15]ケビン・フォン・エリックスコット・ケーシーと抗争を展開し、ブルーザー・ブロディとも対戦した[16]。翌1987年1月、当時ダラスとの提携ルートを持っていた新日本プロレスに来日。開幕戦ではコンガ・ザ・バーバリアンとタッグを組み、アントニオ猪木&武藤敬司と対戦した[17]

以後、ビル・ワットのUWFなどへの転戦を経て、1989年は古巣のフロリダにてボビー・ジャガーズやトニー・アンソニーとサザン・フォースThe Southern Force)なる南部人ユニットを結成、若手時代のナスティ・ボーイズマイク・グラハム&ダスティン・ローデスとタッグ王座を争った[18]。同年下期はテネシー州メンフィスCWAに登場、6月26日にジェフ・ジャレット、9月11日にテキサス・ダートを破り、CWAヘビー級王座を2回獲得した[19]

1990年代初頭はジョバーとしてWWFWCWに出場[2]1991年下期からはダラスの新団体GWFに定着、1992年10月にはジョニー・マンテルをパートナーに、当時エボニー・エクスペリエンスと名乗っていたハーレム・ヒートからGWFタッグ王座を奪取している[20]1994年には、一時的に再結成されたファビュラス・フリーバーズとも対戦した[2]。GWFの活動停止後は、1996年ビッグ・トレイン・バートBig Train Bart)のリングネームでWCWに単発出場していた[21]

トレーナーとしても活動しており、GWF時代のジョン・レイフィールドをはじめ、ネクロ・ブッチャーなどが彼の指導を受けた[22]

2025年1月9日朝5時26分、ステージ4の結腸癌肝臓転移により死去した。2023年3月にこの病気が見つかり治療を受けたが、最晩年は医療処置をあきらめ、自宅で静養していた。76歳没[1]

得意技

獲得タイトル

サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAアラバマ・ヘビー級王座:1回[7]
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAブラスナックル王座(ミッドアトランティック版):2回[23]
  • NWAナショナル・ヘビー級王座:1回[24]
  • NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:1回[14]
  • NWAミッドアトランティック・タッグ王座:1回(w / ロン・バス)[12]
ワールド・クラス・レスリング・アソシエーション
  • WCWA世界ヘビー級王座:1回[15]
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • CWAヘビー級王座:2回[19]
グローバル・レスリング・フェデレーション

脚注

外部リンク

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