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リッキー・ファウラー
アメリカのゴルファー (1988-) ウィキペディアから
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リッキー・ユタカ・ファウラー(Rickie Yutaka Fowler, 1988年12月13日 - )は、アメリカ・カリフォルニア州アナハイム出身のプロゴルファー。アマチュア時代の2007年から2008年にかけて世界アマチュアゴルフランキングで世界ランク1位の座を通算36週保持し[1]、2009年にプロ転向。2010年にはPGAツアーの新人賞(ルーキー・オブ・ザ・イヤー)を受賞した。
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生い立ち
アメリカ・カリフォルニア州アナハイムにて生まれる。もともとは、モトクロスのレーサーで、14歳の時にゴルフに転向する。実際、契約先のプーマのCMでファウラーがオートバイに乗ってカップインさせるCMが公開されている[2]。ファウラーはドライビングレンジのみでほぼ独学で練習をしていた。後に、カリフォルニア州マリエータにあるマリエータ・バレー高校に進学する。高校の最終学年の時に、SWリーグで64-69=133のスコアで優勝する。高校を卒業後、オクラホマ州立大学に進学する。ファウラーの大学での初優勝は、2007年10月1日に行われたイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校主催のFighting Illini Invitationalで、2位と1打差の203(70–63–70)打で優勝している[3]。
2005年、夏にウェスタン・ジュニア選手権で優勝を果たし、全米アマチュアゴルフ選手権にも出場した。全米アマでは、後年に優勝するリッチー・ラムゼイに敗れている。
2006年、ファウラーは、全米ジュニアアマチュアゴルフ選手権に出場して137打で2日間のストロークプレーを終え、決勝ラウンドに進んだが、マッチプレーの2回戦で敗退している。
2007年、6月にSunnehanna Amateurで優勝、7月にはPlayers Amateurで優勝を果たす。ウォーカーカップの代表選手にも選ばれ、アメリカの勝利に貢献する。
2008年、Sunnehanna Amateurで優勝し、大会2連覇を達成。全米オープンにも出場し、初日を−1 (70)でラウンドし、7位タイにつける。ファウラーは予選を通過したが、最後は60位タイまで順位を下げる。10月には、アイゼンハワートロフィーに出場し、アメリカの2位に貢献、ファウラーは個人優勝を果たしている。
2009年、2度目のウォーカーカップの代表選手に選ばれ、再びアメリカの勝利に貢献する。Sunnehanna Amateurでは、3位で終わった。
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プロ入り後
要約
視点
ウォーカーカップの後の9月に、ファウラーはプロに転向し、ネイションワイドツアーのアルバートソンズ・ボイジオープンでデビューを果たす[4]。2009年9月に、タイトリストと道具提供の複数年契約を結んだことを発表した[5]。同様に、プーマとウェアの契約を複数年結んだ[6]。その後、ロレックスとも契約を結んだ。
ファウラーのプロ入り後のPGAツアー初出場は、ジャスティン・ティンバーレイク・シュライナーズホスピタル for チルドレンで、7位タイで終わっている[7]。次戦である、アリゾナ州スコッツデールにあるグレイホークゴルフクラブで行われたフライズ・ドットコム・オープンにも出場しており、この時はプレーオフの末敗れ、2位タイに終わった[8]。ファウラーは最終日に、5番ホールでホールインワンを記録しており、4日間連続でイーグルを記録している[9]。
2009年12月に、クオリファイイング・スクールを受け、15位タイで通過し、2010年のPGAツアーのシード権を獲得した。
2010年、2月に行われたウェストマネジメント フェニックスオープンで2位で終わる。6月には、メモリアル・トーナメントで最終日首位でスタートするが、スコアを伸ばせず、2位に終わった。しかし、これがきっかけで世界ゴルフランキングで50位以内にランクインする。9月には、ライダーカップのアメリカ代表にキャプテン推薦でメンバー入りする。21歳9か月でメンバー入りしたファウラーは、アメリカ代表としては最年少で選ばれた。なお、ヨーロッパ代表では、1999年にセルヒオ・ガルシアが19歳で代表に選ばれており、ライダーカップの中で最年少で選ばれた代表となっている。しかし、ファウラーは第2セッションのフォーサム競技でルール違反を犯してしまった。1ダウンを喫した後の4番ホールで、ぬかるみにつかまったボールの救済を受け、ルール上はぬかるんだボールをそのままドロップすることになっているが[10]、ファウラーは誤ってポケットの中にあったボールをドロップして、そのまま打ってしまったため、アメリカチームは罰を受け2ダウンとなってしまった。しかし、1ダウンで迎えた最終ホールでペアであるジム・フューリクが3打目をピンに寄せてファウラーがバーディーパットを決め、引き分けに持ち込んだ。ファウラーのミスに関して、アメリカのキャプテンコーリー・ペイビンは、「ファウラーの経験不足が原因」と言っている[11]。その一方で、最終日のシングルマッチで、エドアルド・モリナリに対して、12番ホールを終わった時点で4ダウンだったが、残りの6ホールで引き分け持ち込んだ。特に、最後の4ホールで連続バーディーを奪うなど、キャプテンのペイビンも「信じられない」と言っている[12]。
ファウラーは2010年のトーナメントでトップ10に7回入った実績などが評価され、2010年のアメリカPGAツアーの新人賞を受賞した[13]。これに対して、北アイルランドのローリー・マキロイの方が新人賞に相応しいという意見が出た[14][15]。
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人物
ファウラーのミドルネームの「ユタカ」は、母方の祖父が日系2世のため、そこから来ている[1]。また、母方の祖母はナバホ族の人物である[18]。
派手な服装が特徴だが、最終日には必ず出身大学であるオクラホマ州立大学のスクールカラーであるオレンジ色のウェアを着るという[19]。
ラウンド前には、必ずTwitterで「Go Time!(さぁ、行くぞ!)」と呟く[1]。
同世代の石川遼 (Ryo Ishikawa) 、ローリー・マキロイ (Rory McIlroy) そしてリッキー・ファウラー (Rickie Fowler) の3人のファーストネームの頭文字をとって3Rと呼ぶことがある[20][21]。
ザ・プレーヤーズ選手権の開幕前に米ゴルフ雑誌等が選手を対象に「最も過大評価されている選手」は誰であるかとアンケート調査を行ったところ、イアン・ポールターと並んで同率1位の24%の票を獲得してしまった。しかし直後のこの大会で見事に優勝を果たした。
通算成績 (10勝)
PGAツアー (6勝)
- プレーオフ記録 (3勝2敗)
ヨーロピアンツアー(2勝)2023年
ワンアジアツアー(1勝)
その他(1勝)
- 2017年:ヒーロー・ワールドチャレンジ
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メジャー大会での成績
DNP = 不出場
CUT = 予選落ち
"T" = タイ
黄色の背景で示されているのは、トップ10入り。
世界ゴルフ選手権での成績
DNP = 不出場
QF, R16, R32, R64 = マッチプレーでのベスト入り順位
CUT = 予選落ち
"T" = タイ
黄色の背景で示されているのは、トップ10入り。
脚注・出典
関連項目
外部リンク
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