リズム・アンド・ブルース

音楽のジャンル ウィキペディアから

リズム・アンド・ブルース: rhythm and blues)は、ポピュラー・音楽のジャンルである。略称はR&B(アール・アンド・ビー)。

激しいビートに乗せて、ブルースゴスペルに影響された歌を叫ぶように歌うのが特徴である。ロックンロールなどのジャンルにも影響を与えた[3]第二次世界大戦後、ニューヨークデトロイトシカゴメンフィスフィラデルフィアニューオリンズのような都市でジャズブルースゴスペルなどが混ざり合い、誕生した[4]

概要

戦前にすでに存在した黒人音楽と関係の深いジャンルには、ラグタイム、ブルース、ジャズ、スウィング、ジャイブなどがあった。R&Bは戦前には、まだジャンルとしては確立されていなかったが、ビルボード誌上では1943年ごろには、早くも記事の中にリズム&ブルースの記述が見られた。正式に音楽ジャンル名としてビルボードが使用したのは、1947年ビルボード誌ジェリー・ウェクスラー[5]の提案によるものである[6]。ウェクスラーが名付けるまでは、アフリカ系アメリカ人の音楽を「レイス・ミュージック」と呼び、ビルボード誌でも順位をレイス・ミュージック・チャートとして発表していた。しかし1947年に、もう人種的視点で呼ぶ時代ではない、という議論がビルボード誌編集部内でおこなわれた。後日ウェクスラーが名称としてリズム・アンド・ブルースを提案したことから、R&Bが採用されている。[7]

ロックンロールは白人のカントリーと黒人のブルースの融合から、1954年か55年ごろに生まれた[注 1]とされているが、R&Bの影響も大きかった。その後、リズム・アンド・ブルースは、1960年代にはソウルミュージックとも呼ばれるようになる。当時、両ジャンルに明確な区別をつけるのは難しかった。1960年代のアメリカでは公民権運動による黒人たちの地位向上と共に、彼らのアイデンティティを再発見し、ブラックパワー運動などルーツを誇示する傾向が見られるようになった。ソウル/R&Bは彼らの音楽であるだけでなく、より幅広い黒人生活全般を示す言葉となっている。

詳細

Motownは、1960年にスモーキー・ロビンソン&ミラクルズの "Shop Around"をヒットさせた。また南部では1961年にカーラ・トーマスの "Gee Whiz!がヒットした Staxレコードの次のメジャーヒットであるThe Mar-Keysの "Last Night"(1961年にリリース)によりメンフィスの純粋な南部サウンドをリリースするスタックス・レコードが知名度をあげた[8]。 ジャマイカでは、R&Bがスカの発展に影響を与えた。R&B界には、サム・クックジェームス・ブラウンアレサ・フランクリンオーティス・レディング[注 2]らの大スターが誕生した。1970年代にはストリングスを使用したフィリー・ソウルも登場した。フィリー・ソウルの代表的なミュージシャンには、オージェイズハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツビリー・ポールらがいた。北部・東部のソウルだけでなく、1970年代にはアル・グリーンを擁したハイ・レコード[注 3]のような南部のレーベルも活発に活動していた。

R&Bインスト

歌唱なしのR&Bインストルメンタルの音楽家には、ビル・ドゲットブッカーT&MGsキング・カーティスや、ジュニア・ウォーカー&オール・スターズ[9]らがいた。他にもザ・JBズ、ハイ・リズム、マーキーズ、フェイム・ギャング、マッスルショールズ・リズム・セクションらも活躍した。ジュニア・ウォーカーのヒット曲には一部ヴォーカルも入っているが、フォリナーの曲をカバーした「アージェント」などは、完全にインスト曲になっている。

ホワイトR&B

1960年代にリズム・アンド・ブルースはヨーロッパにも渡り、流行に敏感な若者たちの一部を虜にし、やがて彼らは自らリズム・アンド・ブルースを演奏するようになった。ヴァン・モリソンゼムや、スティーヴ・ウィンウッドスペンサー・デイヴィス・グループ[注 4]アニマルズらはR&Bを演奏し、レコードを発表した[10]。こうして、リズム・アンド・ブルースは米国から世界へと広がっていった。

和製R&B

日本でも1960年代には内田正人キングトーンズ[11]和田アキ子ザ・ボルテージ桜井ユタカが歌唱指導)、安田明とビートフォークらが和製R&Bとして登場した。1970年以降は、大橋純子宮本典子(mimi)シャネルズ/ラッツ&スター鈴木雅之鈴木聖美らが和製R&Bの曲を録音した。その後、1980年代から1990年代には久保田利伸バブルガム・ブラザーズがヒット曲を発表した。 小柳ゆきの「あなたのキスを数えましょう」は1990年代の代表的な楽曲だった。ブラザー・トムは、HUMAN SOUL 、REAL BLOODなどのR&Bグループを結成した。カンニング竹山は、左とん平の「ヘイ・ユウ・ブルース」をカバーしている。

1980年代以降

やがてリズム・アンド・ブルースはより洗練された方向に発展していき、1980年代以降はブラック・コンテンポラリー(ブラコン)と呼ばれることもあった。代表的な歌手にはフレディ・ジャクソン[注 5]、ルーサー・ヴァンドロスらがいたが、本来のR&Bの名にふさわしいのは、グレン・ジョーンズのような「ゴスペル・ルーツ」の歌手である。1990年代以降は、ソウルがブルース的位置づけで分離され、当時の若手のガイ[注 6]やジョディシィ、メアリー・J. ブライジなどがリズム・アンド・ブルース (R&B) と呼ばれるようになった。

サブ・ジャンル

脚注

関連項目

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