Remove ads
1981-1996年の日本のラジオ番組 ウィキペディアから
『ラジオはアメリカン』(「ラジオWAアメリカン」とも表記。略称「ラジアメ」)は、1981年4月12日から1996年6月30日まで[注 1]、日本のTBSラジオで放送されていたラジオ番組である。『大橋照子のラジオはアメリカン』(おおはしてるこのラジオはアメリカン)として始まった。全国各地のラジオ局でネットされていたが、ネット局によっては放送開始・終了の時期が異なる(#ネット局参照)[注 2]。
1985年、大橋照子がアメリカに行くことになり、パーソナリティーを斉藤洋美にバトンタッチした。
1998年10月から1999年3月までは、大橋による復刻版的な番組『ラジオはカプチーノ』を放送。
2002年3月からAIIにより、有料インターネットラジオサイト「ラジ@ (ラジアット)」内で『斉藤洋美のラジオはアメリカン』(さいとうひろみのラジオはアメリカン)として復活[3][4]、2006年6月まで配信した。
番組制作は、株式会社PRP。
2018年11月3日に、20年ぶりのイベント『帰ってきたラジオはアメリカン』(かえってきたラジオはアメリカン)が開催された[5]。
番組リスナーからのハガキ等の投稿により放送していたラジオ番組。
番組名の「アメリカン」は、“コーヒーのアメリカンのように中身の薄い番組”という意味合いだが、開始当初はアメリカのホットな情報(最新の流行物、ヒット曲、映画の情報や話題等)を届ける番組や「英会話」の番組とよく間違われていた。大橋の軽妙で甘い語り口で、全国のリスナーに支持される。リスナーに身近でアットホームな話題が多く、新聞の投書欄で「深夜の井戸端会議」と評されたこともある。
TBSラジオでの放送では、ナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)の一社提供[注 3][注 4]で、提供クレジットも15年間「この番組は『遊び』をクリエイトする、ナムコがお送りします(お送りしました)。」が使われた。そのため、番組内で使われるサウンドステッカーにはナムコのゲームミュージックが使われることが多かった。また、番組イベントなどではナムコのアミューズメント施設が使われることもあった。ただし、ネットされた放送局によっては番組購入という形のため、スポンサーがなかったところもある。
TBSラジオでは、毎週日曜日0時台や毎週月曜日0時台、または同1時台などの時間帯に放送されていた。放送時期により放送時間は何度か変わることもあった。プロ野球開催中は前枠でナイター中継の放送がされており、時折延長される事やその後の番組が延長放送時間分だけ後にスライドして放送されていた事もあり、放送開始時間は変動する事も多かった[注 5]。
番組リスナーのメインは学生層(中高生、大学、専門学校など)。番組パーソナリティーの大橋照子と斉藤洋美が「ラジオたんぱ」での人気番組のパーソナリティーをしていた事もあり、引き続きのリスナーも多かった。番組が長年に亘り放送されており、パーソナリティーが変わっても番組内容は引き継いでおり、深夜の時間帯に放送されていた放送局も多く、学生時代からのリスナーが社会人となってもリスナーとなっていることも多かった。リスナーの中には爆笑問題の太田光(大橋時代)、声優の神谷浩史(斉藤時代)もいた[42]。
番組放送が深夜の時間帯だったラジオ局も多く、地元のラジオ放送局の放送が終了している時間帯に他地域のラジオ放送をしている放送局を探していたところたまたま聞いた人が引き続きリスナーになったり、番組リスナーである子供や孫等から薦められての年輩リスナーも少なからず存在しており、時折年輩リスナーからのハガキ投稿も番組内で紹介されたこともあった。
番組内での採用作品の中で、特に優秀なものには賞金(放送時期により、賞金は「1万円〔時折、5千円札×2枚〕」「5千円」「3千円」)が、これに準ずるものにはラジアメトレーナー(後に、ラジアメTシャツ〔「1年分」とし、トレーナーやTシャツを1枚〕)が贈られた。番組で採用されると「番組ステッカー」などの番組ノベルティグッズが贈られた。 斉藤洋美時代での「ハガキコーナー」では、採用されると、「魔除け下敷き」など、後に「矢印良品」[注 6]と銘打った番組ノベルティグッズ、その後、エアクッション(いわゆる"プチプチ")や紙工作などの詰め合わせの「ひとり遊びセット」が贈られた時期もあった。長期に亘り放送されていた斉藤洋美時代には、各種の番組ノベルティグッズが制作され、ハガキ紹介者等には贈られており、番組イベント等でも参加者には、ノベルティグッズが配布されていたこともある。
一般的に放送番組の改編の行われる4月、10月の数週間前の3月中、9月中の放送回では、番組内で次期の放送番組改編後に新たに放送される放送局や放送時間の変更、放送終了や放送開始の案内が丁寧にされていた。また、年末年始時期の放送日時の変更の案内も同様である。加えて、同時期の放送では、番組エンディング音楽部分に、アナウンサー等による案内が放送されていた。
番組放送開始当初から終了まで、また、インターネット配信時代も、東京都千代田区麹町郵便局に設けた「私書箱36号」で番組宛のハガキ、カセットテープの募集がされていた。
番組収録は基本的に週に1回行われていた。
録音放送であり、毎年新年早々にも放送されている放送局も多くあり(放送時間の変更はされていた放送局もあった)、12月の番組中では、翌年新年放送向けの内容の投稿ハガキ、カセットテープ募集の告知もされていた(収録は年末であったが、投稿ネタなどは新年向けな話題や内容など)。
TBSラジオでの放送時間を以下に記す(ネット局は、#ネット局を参照)。ただし、プロ野球開催期間中はナイターの中継放送があり、時折延長放送されることもあり、番組放送時間が定時の放送開始時間より遅れての放送回も多かった。
大橋照子・斉藤洋美時代の番組オープニング曲は、山岸潤史の「MORE CORKSCREW」[46][47]。現在では2002年に発売されたCD『ニッポンのロック・ギタリスト〜山岸潤史〜』、2007年8月に限定盤として復刻されたオリジナルアルバム『ALL THE SAME』(ビクターエンタテインメント)、2016年7月に完全生産限定盤(ビクター和フュージョン・復刻シリーズ)として発売された『ALL THE SAME』(JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)で入手できる。
大原のりえ時代の番組オープニング曲は、Hit Co. Big Band「On the Sunny Side of the Street」。
エンディング曲は、最初期はオープニングと同じ「MORE CORKSCREW」だったが、その後はRVC→BMGビクター(後にBMGジャパン〈初代〉/ファンハウス→BMGファンハウス→BMG JAPAN〈2代目〉→アリオラジャパンを経て現在のソニー・ミュージックレーベルズ)の新譜曲が主に使われ、不定期(概ね1カ月程度)に替わっていた。
番組構成は、全時代の放送時期により 番組コーナー、コーナー内容等は変動していた。
TBSラジオの場合の基本的な番組構成を以下に記す。
大橋照子時代には音楽が頻繁に流された構成の時期もあった。「それでは1曲」、「ここで1曲」等と、番組コーナーの切れ目に音楽を放送していたこともあった。
以下は、大橋、斉藤時代の主な番組コーナー。大原時代も番組コーナーのメインは、ハガキコーナーだった。
大橋照子時代は、各種情報やイチャモンなどを投稿する「おたより」コーナーと、ギャグ・駄洒落・面白い話題などを提供する「ちょっととまって○○」のコーナーに分かれていた。○○は、右左→左右→前後ろ→あっちゃ向いてホイ、と変化した。
斉藤洋美時代になり「おたより」のコーナーは「おはがき定食」に、「ちょっととまって○○」は「今夜は斉藤!」(『今夜は最高!』をもじった)に引き継がれた。後に両コーナーは合体し「今夜は斉定」となった(「斉定」とは「今夜は斉藤!」と「おはがき定食」が合体したものであり、「最低」ではない)。
ハガキコーナーでの、ギャグ・駄洒落・面白い話題などが面白ければナムコのアーケードゲーム「ラリーX」のゲーム開始音、イマイチであれば「パックマン」のミス音が流された。その他にコーナーの節目には「ニューラリーX」の各ラウンドクリア時の音楽や「ギャラガ」の音楽(ボーナスステージでパーフェクト達成時、および捕虜機破壊音等)が流された(時には、パーソナリティーの発言などの時でも、ディレクターの判断でダメな発言の時は「パックマン」のミス音が流されていた)。
基本的には「ハガキコーナー」の投稿話題は自由だが、番組側からのハガキコーナーでの小テーマが設定されていた。全時代の「ハガキコーナー」では、投稿されたハガキ紹介後、同じような話題での投稿がされて、その話題での小コーナーができる事も多く、「"あたかも"シリーズ」「普通の手紙」「この瞬間がたまらない」「我が家のこじつけ自慢」「変な看板」などがあった。
全時代を通じて女性が番組パーソナリティを担当していた事もあり、「年齢」や「結婚」(当時、番組パーソナリティが独身だった時期もあり、また番組の構成作家の鶴間雅行が独身だったことなどもあり)などの話題でハガキコーナーのネタに取り上げられており、番組内での話題にされていた。
ギャグ、パロディ、替え歌、既存の楽曲のオリジナルアレンジ、リスナーの自作楽曲の楽器による演奏や歌(既存の楽曲オリジナルアレンジや自作楽曲を、当時のパソコンで自動演奏等する作品等)、多重録音(先に録音したセリフや音楽等の録音テープを再生しながら台詞等を喋って録音したり、オリジナルの楽曲をカラオケとして流して替え歌を唄う等して録音するのも含む)や、ダビング等によるテープ編集を駆使したり、面白いことを録音したカセットテープを紹介。通称はおもカセ。
家族との私的な会話などで、偶然に録音していたものや、投稿する為に録音したものなども投稿されて放送されたこともあった(家族との会話の録音や、家族を含む他人を意識せずに、家で親や兄妹が歌を唄っている録音など)。
放送開始当初は「おもしろカセットベスト10」だったが、翌年より「おもしろカセットベスト5」になり、さらに斉藤洋美時代には「おもしろカセットベスト5」から「おもしろカセットベスト3」となり、大原のりえ時代には不定期コーナーの「のりカセ」となった。
全時期を通じ番組リスナーより投稿される「おもしろカセット」の投稿作品自体の本数やその内容により、コーナータイトルや紹介し放送するテープの本数は変動していた。全時代を通じ「今週の第*位は該当者なし」との放送回も頻繁にあり、1位も「該当者無し」とする事もあった。また、「おもしろカセットベスト*」とはしていながらも「今回の第*位は***」と投稿の都道府県名、投稿者名(ラジオネーム)、作品タイトル名は紹介はするも、投稿テープの放送はなく、テープの内容の紹介、作品の批評、アドバイス等が紹介される事も多かった(例えば、コーナータイトルは「おもしろカセットベスト5」としていたが、投稿作品の放送は1位〜3位の放送で、4位・5位は紹介のみなど)。
半年に一度、その期間の第1位作品から最も面白い作品をリスナーからの投票で決める「おもカセグランプリ」が実施された。「XX年上半期」「XX年下半期」と頭に付けて呼称していた。番組スタッフがノミネート作品を5 - 8本程度選び、番組内で再度放送し、その後リスナーからのハガキ投票で決定し発表された。
番組リスナー層の多くは学生であり、ハガキでの投稿とは違い「おもカセ」の投稿はテープ代や送料も少なからずの負担にはなっていた事もあり、放送時期によっては、番組側よりテープ投稿者に対し、番組内で採用、未採用を問わず、代替の「カセットテープ」を送っていた時期もあった。「ベスト10」だった時代には、5位〜10位等に送られていた。
「おもカセ」の紹介が少ない放送(放送時期)では、ハガキコーナー等が長く放送されていた。
「おもカセ」の投稿では、「ハガキコーナー」などと同じく、番組で採用された「おもカセ」と、同じパターンの投稿がされ放送されることも多かった。
番組リスナーである同級生や友人とで「おもカセ」を投稿する目的でのグループもいくつかできたり、個人での常連投稿者もおり投稿作品も「おもカセ」で取り上げられ放送されていた。
投稿者の中には著名人もおり、当時タレントだった佐野量子の作品が採用されたこともあった。
現在では著作権関連で問題となりそうなラジオやテレビで放送された番組やCMなどからの録音も投稿されて放送されていた(替え歌の伴奏としてのオリジナルの音源なども含む)。
音楽紹介のコーナー。ビクター音楽産業の新譜曲から毎週1曲を途中まで放送。後に2曲を途中まで放送した時期もある(ナムコのビデオゲーム音楽集『ビデオゲームグラフィティ』シリーズなどが発売された時は、その中から曲を放送していたこともある)。
大橋照子時代にコーナータイトルが「音楽を愛せますか」としていた時期もあり、音楽を2曲(途中まで)放送。 斉藤洋美時代の初期には、コーナータイトルを「新・音楽を愛せますか」としていた時期もあり、音楽を2曲(途中まで)放送していた時期もある。 このコーナータイトルはラジオ番組『山口洋子 その人を愛せますか』が由来である。当時のTBSラジオの放送時間枠は「その人を愛せますか」から「ラジオはアメリカン」に続く構成になっており、「ラジオはアメリカン」を聴くために前番組から聴いているリスナーが少なからずいたため。
斉藤洋美時代に行われたクイズ3問を出題するコーナー。通称「ラジトラ*」(「*」は開催の回数。 例「ラジトラ7」)。主に聴取率調査期間(スペシャル・ウィーク)に開催された番組コーナー。番組関連イベントで起きた事よりクイズ1問が出題される事もあった。クイズ3問中の1問は、「私は誰でしょう?」として、「斉藤洋美が物まねした人は誰か?」と当てる問題も出題された。また、リスナーから出題クイズ問題を募集しての出題もしていた。
全時代を通じ、聴取率調査週間(スペシャル・ウィーク)での放送回では、リスナーに向けてプレゼントありのクイズを出題する企画が放送されていた。また、全時代を通じ、普段の放送時でも時折、面白いものや、珍しい物など(投稿者の自作などもあった)がリスナーより番組に送られてきたりした時などでは、急遽、番組中で「送られて来た物は何でしょう?(これは何でしょう?)」的なクイズが出題されたこともあり(送られて来た物の概要などの言葉での説明や、音などを聞かせて)、正解者には抽選で、何らかのプレゼント(ノベルティグッズなど)が贈られていた。
番組が放送されている放送局のある地域での公開の番組イベント。年に数回主にリスナー層である学生が休みになる時期の春・夏・冬休み中の日曜日、祝祭日等の日中に開催されていた。
番組放送初期でのイベントは、公共の広場(公園等の広場)や、公共の貸しホール等(貸し会議室等)で開催されることもあった。
その後、ナムコのアミューズメント施設の入っている商業ビルの広場や商業ビル屋上、ナムコのアミューズメント施設内等で開催。番組のイベントは、ナムコ関連の製品紹介との連携で開催されることも多かった。
基本的には番組初期から、番組イベント開催時にはハガキによるイベント参加の募集はされていなかったが、イベントにより会場の収容定員等の関係で、ハガキによるイベント参加の募集がされていたこともある。
12月には、「クリスマス・イベント」が開催されたこともあり、開催会場となるホール等の収容定員の関係でハガキでの参加募集がされ、入場券のハガキは返送されていた。
放送内で、各種イベント開催の予告があり、イベント開催前にリスナーが自主的に「出席届け」と称して「今度のイベントに参加します」とのハガキ投稿があり、番組内で紹介されていた。後に番組イベントでは「出席届け」のハガキを持参して出席をとるコーナーができて、番組内でのイベントの紹介などでは「出席届け」の募集もされた。イベント後には「イベントの感想」等がイベント参加者より投稿され、番組内のハガキコーナーでは紹介されていた。
番組内では番組イベントの模様の録音を短く放送したこともあり、番組自体が、番組イベントで公開録音されて放送されたことも数回あった。
番組内で番組イベントの開催場所の紹介時には、イベント会場までの交通案内等が丁寧にされていた(例えば、**線の**駅で下車(鉄道会社名や路線名、駅名)、**バス(バス会社名)の「**行き(最終目的地)」に乗車し、約**分位の「**バス停」で下車し、**方面(目標となる場所など)に歩いて**分」等)。また、イベント開催場所の地元リスナーよりの、より詳しく判りやすいイベント会場までの交通案内のハガキ投稿もあり、番組内でのイベントの案内の時には紹介されていた(会場に行く道程で迷ったりした時には、「**(会場の場所や、会場に行く為の目標となる建物など)はどこですか?」と地元の人に聞いて教えてもらい、教えてもらったら必ずお礼を言って下さい的な、アドバイスも放送ではされていた)。
大橋照子が番組担当時の番組イベントの名称。「ラジアメファンのつどい **大会」としていた(「**」は、イベントが開催される場所の都道府県名や市区町村名など)。
観光バスをチャーターして、ハガキ募集により抽選で番組リスナーを招き、ナムコ本社等を訪問した(ナムコ本社の社員食堂で昼食も出た)イベントを行ったこともある。
斉藤洋美が番組担当時の番組イベントの名称。通称「ふれキャン」(放送時期により「全国ふれ愛キャンペーン **」、「ふれキャン in **」などとしたこともある(「**」は、イベントが開催される場所の都道府県名や市区町村名など)。
番組イベントの実質的な1回目は、東京都板橋区にある「東京大仏」。「東京都板橋区に大仏がある」とのハガキ投稿があり番組で紹介し、番組内で「斉藤と鶴間が何日の何時に東京大仏に行きます」と告知したら、当日に100人近くの番組リスナーが集まった。後に、番組イベントで全国数カ所の「大仏巡り」を開催したこともある。
斉藤洋美が番組パーソナリティを担当した期間も長く、ナムコ関連のアミューズメント・ゲームの新作紹介との連携等で、番組イベントは全国各地で多く開催された。
大原のりえが番組担当時の番組イベントの名称(「**」は、イベントが開催される場所の都道府県名や市区町村名など)。
放送曜日・時間は各放送局により異なり、15年の間での放送枠変更が多かった局もあった。主に土曜・日曜の深夜帯に放送されることが多かった。TBSを含めたJRN加盟局での放送が多いが、外部プロダクション制作ということもあり、TBSをキーステーションとしたJRNネット番組ではなく、非ネットワークの各局任意ネット(番組販売)だった[注 23]。そのため、NRN単独加盟局(☆)や独立局(★)での放送もあった他、一部の局ではCMなし(ノンスポンサード)で放送されていた。
以下のネット局は、ナムコ提供による後続番組『WE2 タマゴの…キミ』(1996年7月 - 1997年3月/槙健一、浅川悠、白河真由)、『大槻ケンヂとタマゴのキミっ』(1997年4月 - 1998年9月/大槻ケンヂ、林あさ美)、『ラジオはカプチーノ』(1998年10月 - 1999年3月/大橋照子)にそのまま引き継がれることとなる。
これらの番組終了後のナムコの提供番組は制作局が文化放送へ移り、『大橋照子のしゃべりバビデブー』(1999年4月-2001年3月、大橋照子・鶴間政行)、『大橋照子のこれでキメましょう!』(2001年4月-2002年3月、大橋照子・鶴間政行)や、1998年4月よりスタートの「ナムコ・ワンダータイム」シリーズへ引き継がれた。この番組終了後は「智一・美樹のラジオビッグバン」を経て「A&G 超RADIO SHOW〜アニスパ!〜」へナムコ提供番組は引き継がれるが、2006年秋以降は文化放送のナムコ提供番組はない。「ナムコ・ワンダータイム」に替わって提供していた番組は現在も番組継続中。
2002年3月から、AIIの「ラジ@ (ラジアット)」により、有料のインターネットラジオで『斉藤洋美のラジオはアメリカン』として復活し(300円/月。月に数回更新、一部、無料配信もあった)、2006年6月まで配信した(配信会社の都合により配信終了した)。ラジオ放送の時と同じく、番組構成は鶴間政行、番組制作は「株式会社PRP」。
インターネットラジオ版ではハガキやメールなどを募集しての新規配信の他に、新規配信内で過去にラジオで放送した「おもカセ」を配信したり、過去のラジオ放送を再配信していたこともある。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.