ヤングは日本のお笑いコンビ、漫才師である。
2003年8月、高校1年生の時に「ぷくぷく隊」としてコンビ結成。2011年1月に「ヤング」へ改名。2003年『M-1甲子園(現・ハイスクールマンザイ)』ファイナリスト、2008年『M-1グランプリ』セミファイナリスト。
- 嶋仲拓巳(しまなか たくみ、1988年1月7日 - )(36歳)
- ボケ担当、立ち位置は向かって左。
- 大阪府大阪市出身。
- 愛称は「たくちゃん」「しまたく」
- 血液型A型。
- 活動拠点である「ライヴ喫茶亀」の店主。
- 漫才師のほか、バンド活動なども行っている。
- 寺田晃弘(てらだ あきひろ、1988年1月20日 - )(36歳)
- デビュー直後のbaseよしもとオーディションライブ「baseプレステージ」時代からの古い付き合いであり、数多くのライブで共演していた盟友。ワッハ上方レッスンルーム時代を経て毎月『ナイトオブコメディー』に出演していたほか、自主ラジオ番組『金属バットのラジオバンダリー』(YouTube)の公開収録会場として「ライヴ喫茶 亀」を使用していた。
- 「コメディスタジアム」「キタイ花ん」等で共演していたほか、2008 - 2010年頃、ワッハ上方レッスンルームにて当時「ぷくぷく隊」のヤング、金属バット、ツートライブとの4組でユニットライブ「漫才やめなさいライブ」を定期的に開催。この「漫才やめなさいライブ」は現在ミルクボーイ、金属バット、デルマパンゲ、ツートライブの4組で行っている「漫才ブーム」の前身。
- 「コメディスタジアム」「キタイ花ん」やワッハ上方レッスンルーム時代からの交流があり、大阪星光学院中学校の先輩後輩である。現在寺岡は体調面を考慮しての活動となっているが、体調が万全な際には「ライヴ喫茶 亀」でのミニ単独ライブやヤング主催ライブに出演している。
- 街裏の大阪時代から交流があり、2013年以降は年一回のペースで「街裏ぴんく・ヤングの競演会」を開催。
- 来阪した際は頻繁に「ライブ喫茶 亀」にてオールナイトライブを開催。野沢ダイブ禁止は寺田のことを「ジョー」、嶋仲のことを「島忠ホームズ」と呼んでいる。
- ピン芸人になる前の「さかなDVD」時代からの交流があり、芸歴自体は1年差。ヤングはハクション中西を「天才」と絶賛している。
- 「漫才やめなさいライブ」時代からの交流がある。2023年7月、ツートライブ主催ライブ「ツートライブとライブ」にミルクボーイ、金属バット、デルマパンゲの「漫才ブーム」メンバーが出演予定だったが金属バットが体調不良のため休演に。その際、「漫才やめなさいライブ」メンバーだったヤングが他事務所ながら代演を務めた。翌年1月、同ライブで5組全員が集結。
- インディーズ時代からライブで頻繁に共演。森ノ宮よしもと漫才劇場での『黒帯会議』にヤングを呼んだほか、寺田は一番飲みに行く相手として大西の名前を挙げている。
- フリー芸人。古くからの付き合いがある。現在も「ナイトオブコメディー」「ヤバメンツオブザピーポー」などで共演。
- せめる。とはもも結成前の「タングステン」時代から交流がある。コンビ結成直後からよしもと漫才劇場のオーディションに受かるまでは『ナイトオブコメディー』に出演していた。2022年からはもも主催ライブ「鶴」を森ノ宮よしもと漫才劇場などで開催しており、かつて「ライヴ喫茶 亀」に出演していたメンバーが集結。
- フリー・個人事務所という立場で、大阪でのインディーズライブを中心に数多く共演。にぼしいわし主催のネタライブ「カギョウ」に毎回ヤングが出演しているほか、2023年9月には東京進出を控えたにぼしいわし大阪ラストライブとして「ヤングvsにぼしいわし全面戦争」を開催し、翌2024年7月には東京でも行った。
- 大阪時代に頻繁に共演。東京進出後もヤングが東京に来た際や帰阪した際にはライブで共演。2024年1月に行われた「オダウエダno寄席」にもにぼしいわしと共に吉本以外のゲストとして出演。
- 2024年、「THE SECOND~漫才トーナメント~」ノックアウトステージ32→16で対決。結果はマシンガンズが勝利したが、これがきっかけとなり交流を持ち始める。同年7月に東京・杉並区立勤労福祉会館ホールで行われた「ヤングvsにぼしいわし全面戦争」にはヤング軍として出演。