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メメット・オカー

トルコのバスケットボール選手 (1979-) ウィキペディアから

メメット・オカー
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メメット・オカーMehmet Murat Okur1979年3月26日-)はトルコ共和国の元プロバスケットボール選手NBAユタ・ジャズなどで活躍し、2016年から2017年にかけてはフェニックス・サンズの選手育成担当コーチを務めた。マルマラ地方ヤロヴァ県ヤロヴァ出身。ポジションはパワーフォワードセンター。身長211cm、体重119.3kg。トルコ語の発音に近い「メメット・オクール」と表記される場合がある。

概要 引退, ポジション ...
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経歴

トルコ時代

オカーはトルコ1部リーグ(TBL)でもプレイした経験を持つ。また若くしてトルコ代表としてもプレイし、1997年に開催された22歳以下の世界選手権ではトルコ優勝メンバーの一員だった。1998年にはTofas Bursaでプレイし、その年のリーグチャンピオンの原動力となって活躍した。その後、イスタンブールエフェス・ピルゼン S.K.に移籍し、ユーロリーグに出場するなどした。

NBA

2001年のNBAドラフトではデトロイト・ピストンズから全体38位指名を受けた。2002年から2シーズン、主にピストンズの控えのインサイドとして活躍。2003-04シーズンにピストンズでNBA優勝を経験し、トルコ出身の選手として初のNBAチャンピオンを経験した。当時から信頼されたインサイドとして好成績を残していた。しかしながら、ピストンズはサラリーキャップの整理と、同シーズン途中にラシード・ウォーレスを獲得していたこともあり、オカーの放出を余儀なくされてしまう。結局、制限付きFAのオカーはシーズンオフにユタ・ジャズと契約(6年間約5000万ドル)。ピストンズはジャズの契約にマッチングを行わず、ジャズへの移籍が成立した。

ジャズに移籍した1年目(2004-05シーズン)は、先発や6thマンとして出場。次第にチームの中心選手の一人に数えられるようになった。

2005-06シーズンは先発に定着したことから出場時間が上昇。平均得点や平均リバウンドなどの成績も前年を上回った。ジャズは前年は26勝しかあげられなかったが、この年は勝率も5割(41勝)にまで復帰。これはオカーの成長によるところが大きいと考えられた。

2006-07シーズンは、NBAオールスターゲームの出場メンバーに選出されるなど飛躍のシーズンとなり、2010-11シーズンまでジャズで活躍した。

2011-12シーズン開幕前の2011年12月にニュージャージー・ネッツに移籍するも、翌年3月にポートランド・トレイルブレイザーズに放出され、バイアウトで解雇された。

2012年11月に引退を表明した[1]

2016年9月13日、フェニックス・サンズの選手育成担当コーチに就任[2]。2017年10月にヘッドコーチ交代により退任した。

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プレイスタイル

基本的にはインサイドプレイヤーでセンターとパワーフォワードを兼任することができる。しかしながらシュートタッチが良く、外郭からのシュートも無難にこなす。2005-06シーズンは3Pシュートを80本成功させた。また、ビッグマンながらフリースローも得意としており、成功率はキャリア通算で8割近い数字を残している(センターでの8割という数字は上位に数えられる)。

NBA個人成績

要約
視点
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レギュラーシーズン

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[3]

プレーオフ

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備考

  • ニックネームは「Memo

脚注

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関連項目

外部リンク

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