マルチ・スズキ・インディア
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マルチ・スズキ・インディア(英語:Maruti Suzuki India Limited、通称「マルチ・スズキ」 )は、日本の自動車メーカー、スズキのインドにおける乗用車生産販売子会社である。
インド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ」として1981年2月に設立され、インドを含む南アジアで最大の自動車会社となっている。2002年5月には出資比率を引き上げたスズキが子会社化し、2007年7月に社名変更された。
1970年頃、インドでは環境の不備もあり、陳腐化した自動車が高コストで製造されていた。この状況の中、当時の首相インディラ・ガンディーの次男で自動車好きだったサンジャイ・ガンディーは国民車構想を抱き、インド政府からライセンスを受け、1971年6月マルチ (MARUTI LIMITED) を設立した。しかし1980年6月23日、サンジャイ・ガンディーは自らが操縦する飛行機の事故で急逝してしまった。
1981年2月、インド政府はマルチを国営企業マルチ・ウドヨグとし、国民車構想の合弁相手を探したところに鈴木自動車工業(現スズキ)が応じた。1982年3月、インド政府の一行が合弁候補との交渉のため来日し日本の自動車メーカーを回ったが、当時日本の自動車メーカーの海外進出は米国一辺倒であり、トップが最初から最後まで応対したのは唯一鈴木自動車工業の鈴木修社長だけであった。1982年10月、鈴木自動車工業と契約締結。鈴木自動車工業がインドへの投資を決断したことは当時異例中の異例であり、失敗による経営危機も危惧されたという。
「マルチ」とは、インドの風の神「マールティ मारुति」であり、自動車が軽快なスピードで颯爽と走るイメージを意識したもの。設立時の社名の「ウドヨグ」は、ヒンディー語で「産業・工業」を意味する「ウドヨーグ उद्योग」という言葉のローマ字表記「Udyog」をカタカナ読みしたものである。
2007年の社名変更は、同社製の乗用車が「マルチ・スズキ」(Maruti Suzuki )ブランドとしてインド国内に浸透していることから、会社名をこれに合わせたものである[13]。
日本で軽自動車として流通している車種については、現地の実情に併せて800 cc、1,000 ccエンジンへ変更し、ボディサイズが若干拡大され、マニュアルトランスミッションが組み合わせられている。
【】内は日本での車名。
以下は「MARUTI SUZUKI ARENA」で販売
以下6車種は上級車チャネル「NEXA」で販売
販売終了車種
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