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マイク・オールドフィールド(Mike Oldfield、1953年5月15日 - )は、イギリスのミュージシャン。デビューアルバム『チューブラー・ベルズ』や1983年のシングル「ムーンライト・シャドウ」のヒットで世界的に知られる。
マイク・オールドフィールド Mike Oldfield | |
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マイク・オールドフィールド(2006年) | |
基本情報 | |
出生名 | Michael Gordon Oldfield |
生誕 | 1953年5月15日(71歳) |
出身地 |
イングランド バークシャー・レディング |
ジャンル |
プログレッシブ・ロック ニューエイジ アンビエント ミニマル・ミュージック 実験音楽 |
職業 | 作曲家、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、ゲームデザイナー |
担当楽器 |
ギター、キーボード、 ボーカル、ベース、 パーカッション など |
活動期間 | 1967年 - |
レーベル |
ヴァージン (1972年 - 1991年) ワーナー (1992年 - 2003年) マーキュリー (2005年 - ) |
共同作業者 |
ケヴィン・エアーズ デヴィッド・ベッドフォード マギー・ライリー ペッカ・ポーヨラ ジョン・アンダーソン |
公式サイト |
mikeoldfieldofficial |
著名使用楽器 | |
フェンダー・ストラトキャスター フェンダー・テレキャスター ギブソン・SG ギブソン・レスポール フェアライトCMI コルグ・M1 |
早くから音楽に触れ、幼少時よりピアノを、10歳からギターを習い始める。1967年、姉のサリー・オールドフィールドと共にフォークデュオ「サリアンジー(The Sallyangie)」を結成し、『チルドレン・オブ・ザ・サン』(1968年)を発表。アルバム一枚でデュオは解散するが、ロンドンでのセッション活動を通じてケヴィン・エアーズやデヴィッド・ベッドフォードと知り合い、ケヴィン・エアーズのバック・バンド「ザ・ホール・ワールド(The Whole World)」でベースを担当。『月に撃つ(Shooting at the Moon)』(1970年)と『彼女のすべてを歌に(Whatevershebringswesing)』(1971年)の2枚のアルバムに参加した。バンド解散後はセッション・ミュージシャンをしながら、デヴィッド・ベッドフォードから音楽理論を学ぶ。
1973年5月、リチャード・ブランソンが主宰する新興レーベル、ヴァージン・レコードの第一弾アーティストとして、アルバム『チューブラー・ベルズ』でデビュー。2400回もの多重録音を繰り返して制作されたこの壮大なアルバムは全英1位を記録。別人の演奏となったが、特徴あるイントロのフレーズがアメリカ映画『エクソシスト』(1974年)に使用され、さらに知名度が上がった[1]。現在までにイギリス国内で260万枚を売り上げ、全英歴代トップ30にランクインするほどの大ヒットとなった。同作は現在でもプログレッシブ・ロックの歴史的名盤とされている[2]。
続いて1974年に『ハージェスト・リッジ』(全英1位)、1975年に『オマドーン』(全英4位)とアルバムを出すも、成功によって生じた精神的重圧に苦しみ長期間の療養生活に入る。1978年に『呪文』を発表してカムバックを果たした後は、アルバムを発表するだけでなく精力的にツアーを行うようにもなり、翌1979年にはヨーロッパでのライブの模様を収めた『エクスポウズド』をリリースしている。
1982年5月26日、渋谷公会堂で初来日公演を行った。
1980年代に入ってからも『ファイヴ・マイルズ・アウト』(全英7位)、『クライシス』(全英7位)と優れた作品を続けて発表。
この頃から、時代の変化に合わせて従来のプログレッシブ・ロックからのアプローチをやめ、所属レコード会社であるヴァージンのイニシアティヴの下でポップ寄りの作品を発表するようになる。マギー・ライリーのボーカルによる『クライシス』収録の「ムーンライト・シャドウ」はヨーロッパ中で大ヒットし、その後アニー・ハズラムやアゼリン・デビソンがカヴァーする代表曲となる。続く『ディスカバリー』(1984年)からも、「トゥ・フランス」(ボーカルはライリー)や「トリックス・オブ・ザ・ライト」(ライリーとバリー・パーマーのデュエット)がシングル・ヒットした。以降も様々なボーカリストを起用し、「ファミリー・マン(ホール&オーツのカバーで知られる)」、「シャドウ・オン・ザ・ウォール(ロジャー・チャップマンのボーカル)」、「アイランズ(ボニー・タイラーのボーカル)」、「イノセント」、「キリング・フィールドのテーマ(エチュード)」、「ヘヴンズ・オープン(マイク自身が歌う)」などのヒット曲を生み出す。
1992年にワーナーに移籍し、代表作『チューブラー・ベルズ』の続編『チューブラー・ベルズII』を発表。同作は全英1位を記録した。1998年にはさらなる続編となる『チューブラー・ベルズIII』を発表。同作のワールドプレミアム公演には、かつてレーベル移籍問題で確執が取りざたされたリチャード・ブランソンが観客として会場に訪れた。
2004年にはマーキュリーに移籍。2012年にはロンドンオリンピックの開会式で演奏を行った。
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