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ベネトンB191 (Benetton B191) は、ベネトン・フォーミュラが1991年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラカー。設計者はジョン・バーナード。1991年の第3戦から最終戦まで使用され、1992年も開幕戦から第3戦までB191Bが使用された。
2006年のグッドウッドフェスティバルで走行するB191 | |||||||||||
カテゴリー | F1 | ||||||||||
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コンストラクター | ベネトン | ||||||||||
デザイナー |
ジョン・バーナード マイク・コフラン | ||||||||||
先代 | ベネトン・B190 | ||||||||||
後継 | ベネトン・B192 | ||||||||||
主要諸元[1][2] | |||||||||||
シャシー | カーボンファイバー モノコック | ||||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド | ||||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド | ||||||||||
エンジン | フォード HBA5, 3,494 cc (213.2 cu in), 75度 V8, NA, ミッドエンジン, 縦置き | ||||||||||
トランスミッション | ベネトン製 6速 マニュアルトランスミッション | ||||||||||
燃料 | モービル | ||||||||||
タイヤ |
1991年: ピレリ 1992年: グッドイヤー | ||||||||||
主要成績 | |||||||||||
チーム | ベネトン・フォーミュラ Ltd | ||||||||||
ドライバー |
19. ロベルト・モレノ 19. ミハエル・シューマッハ 20. ネルソン・ピケ 20. マーティン・ブランドル | ||||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||||
初戦 | 1991年サンマリノグランプリ | ||||||||||
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1989年秋にバーナードがフェラーリからベネトンに移籍して以来、待望の新作であるB191は発表前から注目度が高かった[3]。バーナードは部品点数を少なくし、シンプルなマシンを作るという目標をB191に設定した。
1991年4月に発表されたB191にはハイノーズが導入されていた。1990年にティレルが019で導入したハイノーズ+アンヘドラルウイングは、フロントウイングの面積が減ることや、強度が低下することが難点となっていた。そこでバーナードは同じハイノーズでもフロントウイングとノーズを完全に分離して、それらを2枚の板で吊り下げるデザインを考案。そのアイデアが投入されたマシンがB191である。フロントまわりはB190とはまったく違うが、サイドポンツーンからリヤ周りはB190を継承し似たデザインとなった。B191のフロントデザインは他のF1チームや、別カテゴリ(F3000など)のコンストラクターにも大きな影響を与えた。
また、他チームに対して何らかの形でアドバンテージを有したいバーナードは、タイヤをグッドイヤーからピレリに変更することをチームに要望。これを受けフラビオ・ブリアトーレがピレリとの契約を決めてくると、バーナードはさらに前面投影面積の減少による空気抵抗の軽減を狙い、タイヤ幅を前年より1インチ小さくすることをピレリに要望する。これにより同年ピレリ勢の中では最も上位のチームであったベネトンに合わせたタイヤ開発を進めることになり、この事は前年からピレリを履いていた他チーム(ティレル・ホンダ、ブラバム・ヤマハ)のマシン開発にも影響を与えることになった[注釈 1]。
F1参戦開始以来、カラーリングはこれまでグリーンを基調としてきたベネトンだが、同年よりキャメルがメインスポンサーに付いたことで、B191はキャメルイエローを基調とした配色にまとめられた。
ベネトンはトップチームの中で唯一ピレリタイヤを選択したが、アドバンテージにはつながらなかった。マクラーレン、ウィリアムズといった上位チームに勝負するには至らず、ネルソン・ピケが第5戦カナダGPで幸運な1勝を得るにとどまった。なおこのカナダGPの直後にバーナードがチーム内の内紛により辞任し、後任にはレイナードのF1参戦プロジェクトが頓挫しフリーになったロリー・バーンが復帰した。
第12戦イタリアGPから、ロベルト・モレノに代わって新人ミハエル・シューマッハが加入し、いきなりネルソン・ピケの予選順位を上回るなど、活躍を見せた。
1992年用マシンであるB192が完成するまでのつなぎとして、1992年開幕戦南アフリカGPから第3戦ブラジルGPまでB191Bが使用された。1991年に装着したピレリタイヤがF1から撤退したため、1992年はグッドイヤータイヤを使用した。第2戦メキシコGPではB191Bによりミハエル・シューマッハーが3位でフィニッシュし、自身初となる表彰台を獲得した。
(key) (太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
年 | シャシー | エンジン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | 順位 |
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1991年 | ベネトン・B191 | フォード HBA5 V8 |
P | USA | BRA | SMR | MON | CAN | MEX | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | POR | ESP | JPN | AUS | 38.5* | 4th | ||
19 | モレノ | 13 | 4 | Ret | 5 | Ret | Ret | 8 | 8 | 4 | |||||||||||||
シューマッハ | 5 | 6 | 6 | Ret | Ret | ||||||||||||||||||
20 | ピケ | Ret | Ret | 1 | Ret | 8 | 5 | Ret | Ret | 3 | 6 | 5 | 11 | 7 | 4 | ||||||||
1992年 | ベネトン・B191B | フォード HBA5 V8 |
G | RSA | MEX | BRA | ESP | SMR | MON | CAN | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | POR | JPN | AUS | 91* | 3rd | ||
19 | シューマッハ | 4 | 3 | 3 | |||||||||||||||||||
20 | ブランドル | Ret | Ret | Ret |
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