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ブラウンシュヴァイク福音ルター派州教会 (ドイツ語: Evangelisch-lutherische Landeskirche in Braunschweig )は
ドイツ福音主義教会 (EKD)に加盟する20の福音主義州教会の一つである。他の州教会と同様に、ブラウンシュヴァイク福音ルター派州教会も公法上の社団[4][注 1]である。この州教会本部はニーダーザクセン州 ヴォルフェンビュッテル に置かれている。
ブラウンシュヴァイク福音ルター派州教会は ドイツ福音主義教会 (EKD) に属するルター派教会であり、ドイツ合同福音ルター派教会 (VELKD) の加盟州教会でもある。さらに、ルター派世界連盟 (LWB)と世界教会協議会 (WCC)にも加盟している。加えて、地域レベルではニーダーザクセン州福音主義教会連合にも加盟している。
Evangelisch-Lutherische Landeskirche in Braunschweig | |
州教会地図 | |
---|---|
基礎データ | |
面積 : | 約. 5.000 km² |
指導教職者: | 州教会監督 クリストフ・マインス |
加盟組織: | EKD, VELKD ニーダーザクセン州福音主義教会連合, LWB, WCC |
教会地区(Propstei): | 12 |
教会共同体(Kirchengemeinde): | 300 (2021年現在)[1] |
教会、礼拝堂、: | 394 (2021年現在)[1] |
教会員数: | 302.733 (2021年12月31日現在)[2][3] |
牧師: | 233 (2021年現在)[1] |
全住民における 教会員比率: | 37,2 % (2020年12月31日現在)[2] |
州教会公式ウェブサイト: | www.landeskirche-braunschweig.de/ |
この州教会は300の教会共同体を有し、302.733人の教会員がいる (2021年12月現在)。首座教会として、州教会監督 が通常の説教をおこなうのはブラウンシュヴァイク大聖堂である(州教会規則72条)。さらに、ヴォルフェンビュッテルにあるマリーエン教会が州教会にとって重要な教会である。この教会には過去数世紀の間、ブラウンシュヴァイク公国における最重要教会として総地区長 (ズーパーインテンデント)がこの教会に常駐していた。
ブラウンシュヴァイク福音ルター派州教会の管轄地域は1946年まで存続していたブラウンシュヴァイク自由州の主要部分から構成される。ブラウンシュヴァイク自由州は第二次世界大戦後に発足したニーダーザクセン州に統合された。なお、この地域は19世紀ではブラウンシュヴァイク公国、それ以前はブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領であった。ブラウンシュヴァイク自由州の一部であったハルツ地方のブランケンブルクとカルフェルデはソ連の占領下に置かれ、東ドイツ ザクセン=アンハルト州[5]に編入され、ブラウンシュヴァイク州教会から切り離された。なお、ブランケンブルク (ハルツ郡)とカルフェルデ (ベルデ郡)にあったルター派教会共同体は1992年のドイツ再統一によって、再びブラウンシュヴァイク州教会管轄地域に戻った。この結果、 ザクセン=アンハルト州 ハルツ山地地方の一部が州教会管轄地域に加わった。
1942年 、プロイセン自由州とブラウンシュヴァイク自由州間で境界線変更がおこなわれ、ザルツギッターがブラウンシュヴァイク自由州に属することになった。その際、ホルツミンデンはハノーファー州教会に属し、ゴスラー市とゴスラ―郡はブラウンシュヴァイク州教会に属することになった。加えて、オスターヴィークのヘッセン地区の教会はキルヘンプロヴィンツ=ザクセン福音主義教会に引き渡され、ホルンベルクのマリーエン教会はブラウンシュヴァイク州教会に属することになった。
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領の飛び地であったテディングハウゼン中心部とルンゼン地区にあるルター派教会は以前ブラウンシュヴァイク州教会に属していたが、テディングハウゼンが1972年7月1日にニーダーザクセン州の郡域再編によりフェルデン郡に移管された後、教会も1976年にハノーファー福音ルター派州教会フェルデン (アラー) 教会地区に配置換えになった。
ブラウンシュヴァイク州教会の歴史はブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領 (1269年 - 1815年)の消長と分かち難く結びついている。加えて、ハノーファー選帝侯領とも呼ばれていたブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯領(1692年-1806年 )、後のハノーファー王国(1814-1866年)の一部もこの州教会に関係した。1815年のウィーン会議の結果、かつて神聖ローマ帝国のブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公領だった地域は公国の地位が認められ、ブラウンシュヴァイク公国になった。
宗教改革がドイツ各地を席巻したがハインリヒ2世 は一貫してカトリック信仰を守り、カール5世に従い新教側シュマルカルデン同盟と戦ったが、息子のユリウス (1528–1589年)が1568年になってルター派に従うことによって宗教改革を導入した。なお、この地域はローマ・カトリック教会の管轄としてヒルデスハイム司教区とハルバーシュタット司教区に属していた。1576年、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家 (ヴェルフ家)のユリウス公(在位1568年 - 1589年)はヘルムシュテット大学 (1576-1810年)を創立した。この大学は北ドイツにおいて最初に設立された新教側の大学として1810年まで存続していた。
16世紀に入って、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領はヒルデスハイム司教区領、並びにゲッティンゲン侯領、カレンベルク侯領、ブランケンブルク伯領にも広がった。1634年、この地域を統治していたヴォルフェンビュッテル家が断絶し、代わって北ドイツ地域に宗教改革を導入したエルンスト1世の子孫であるアウグスト2世がヴォルフェンビュッテル侯領を相続した。 1704年、ルター派以外の改革派教会共同体や新たにカトリック教会小教区の設立が許容された。1754年、ヴォルフェンビュッテルからブラウンシュヴァイクに居城が移転した。
1803年の帝国代表者会議主要決議の後で、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領は再度、拡張された。その後、ヴォルフェンビュッテル侯領はナポレオン戦争でフランス軍に占領され、ナポレオンの衛星国家ヴェストファーレン王国に組み込まれた。1813年になって、ヴォルフェンビュッテルが解放されると、ナポレオン戦争後の1814年から始まったウィーン会議で公国の地位が認められ、ブラウンシュヴァイク公国に改名された。1815年、オーストリア帝国を盟主として成立したドイツ連邦にブラウンシュヴァイク公国は加盟した。1871年に成立したドイツ帝国に構成国として加わった。公国の教会首長は、常にブラウンシュヴァイク公であった (summus episcopus)。ブラウンシュヴァイク公国領邦教会の運営はヴォルフェンビュッテルに置かれた領邦教会宗務局によって担われた。
ブラウンシュヴァイク公国宗務局の下で、1830年以来、総地区長をトップにした教会地区6つとテディングハウゼン小教区によって公国の領邦教会は運営されていた。
1886年以降、ガンダースハイム教会地区とホルツミンデン教会地区は隣接しながらも教会行政上は独立していたが、ガンダースハイムに常駐する1人の総地区長によって指導されていた。
ドイツ革命が起こった1918年 11月8日、ブラウンシュヴァイク公エルンスト・アウグストは退位宣言に署名し君主権を失ったため、領邦君主 (ブラウンシュヴァイク公)による教会統治(summus episcopus)も終焉した。公国はヴァイマル共和国のブラウンシュヴァイク自由州となった。ブラウンシュヴァイクのルター派福音主義教会は領邦君主から独立を果たし、1922年 1月6日に新たな教会規則を制定した。領邦教会宗務局は州教会宗務局として再編された。それ以降、州教会のトップは州教会監督になった。教会権力の担い手は新たに開設された州教会総会と州教会監督、州教会評議会のメンバー、州教会宗務局運営員会のメンバーになった。
第二次世界大戦後、ブラウンシュヴァイク福音ルター派州教会はドイツ福音主義教会 (EKD)の構成州教会になると同時に、ドイツ合同福音ルター派教会 (VELKD)にも加盟した。1968年、ブラウンシュヴァイク州教会総会は女性の牧師任職を可能にする決定をおこなった[7]。1971年、州教会の地域連合体であるニーダーザクセン州福音主義教会連合が新たに結成され、ブラウンシュヴァイク州教会も加盟した。
ブラウンシュヴァイク福音ルター派州教会のトップは、州教会総会によって選出される州教会監督である。通例、州教会監督は定年の65歳で引退する。
2013年11月に開催されたブラウンシュヴァイク州教会総会は、2014年5月に定年で引退するフリードリヒ・ヴェーバー州教会監督の後任として、クリストフ・マインスを選出した[8]。2014年 6月1日、クリストフ・マインスはブラウンシュヴァイク州教会監督に就任した。
州教会総会は州教会の議会である。大半の総会代議員は教会地区から選出されている。数人の総会代議員は州教会評議会によって任命される。州教会総会運営のトップは総会議長である。現在の総会議長はペーター・アブラモフスキである。州教会総会は通例、年に2回開催される。その使命は政治の場における議会と同様である。
州教会宗務局があるヴォルフェンビュッテルに州教会監督は常駐している。州教会監督は州教会評議会の代表である。州教会評議会には州教会監督と州教会宗務局の非聖職者メンバーが1人、3人の非聖職者州教会総会代議員と2人の聖職者州教会総会代議員によって運営されている。 州教会評議会は以下のような使命を担っている。
州教会宗務局はブラウンシュヴァイク福音ルター派州教会の最高執行部局であり、州教会監督が最高責任者である。州教会宗務局は以下のような使命を担っている。
州教会宗務局は以下のように構成されている。
ブラウンシュヴァイク州教会の運営組織はヒエラルキー構造になっている。
ブラウンシュヴァイク福音ルター派州教会には県に相当するものは存在していない。
12の教会地区には合わせて300の教会共同体がある (2021年現在) 。
ハノーファー福音ルター派州教会、ブラウンシュヴァイク福音ルター派州教会、シャウムブルク=リッペ福音ルター派州教会の共同組織として、1977年にニーダーザクセン州福音ルター派教会宣教団 (ELM) が設立された。この宣教団の本部はツェレ郡ヘルマンスブルクに置かれている。 なお、ブラウンシュヴァイク福音ルター派州教会はインドにあるタミル福音ルター派教会、日本福音ルーテル教会と宣教協力関係にある。
礼拝の概念はギリシャ語の"λατρεία"(ラトリア)に由来し、神による奉仕が語源になる。福音主義教会の礼拝はローマ・カトリック教会のミサとは異なる強調点を持つ。 ニーダーザクセン州にあるブラウンシュヴァイク福音ルター派州教会、ハノーファー福音ルター派州教会 、 オルデンブルク福音ルター派教会は隣接州にあるブレーメン福音主義教会と讃美歌集を共同編集し発行している。その讃美歌集には主に2つの基本礼拝式文が収録されている[9]。
第1基本式文は 聖餐式を含む伝統的なミサ様式を踏襲しており、第2基本式文は説教礼拝とも呼ばれる式文に聖餐式文を加えた形式になっている。前者はルター派、後者は改革派教会礼拝式文に近いが、ニーダーザクセン州、ブレーメン州にある福音主義教会共同体において、礼拝式文の選択は個別の教会共同体に任されているため、ルター派教会共同体においても第2基本式文を用いて礼拝をおこなうこともある。
【A 礼拝開始と祈り】
【B 宣教と信仰告白】
【 C 聖餐式】
【 D 派遣と祝祷】
【A 礼拝開始と祈り】
【B 宣教と信仰告白】
【 C 聖餐式】
【 D 派遣と祝祷】
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